ポルトガルに暮らしていた頃、スペイン・アンダルシアの州都であるセビリアへは何度も足を運びましたが、一度だけ、飼っていた猫を一緒に連れて行ったことがありました。茶トラのゴルムはシリアのダマスカスに暮らしていた頃に拾った猫ですが、彼には人見知りがないだけではなく、あらゆる環境変化に対して瞬時に適応するという特性がありました。シリアからイタリアまでの移動も、イタリアからポルトガルまでの移動でも、特に騒ぐこともなく、新しい移住先や宿泊先では全く物おじせず、日だまりさえあればそこがどこであろうと寛いで、むしろ我々と同様に旅を楽しんでいるような気配すらありました。
そんなわけでセビリアへもゴルムを連れて行くことにしたのですが、ホテルに着いて荷物を出そうとドアを開けたところ、その瞬間ゴルムが外へ飛び出し、行方をくらましてしまいました。周辺を探し回りましたが、ゴルムはどこへ行ってしまったのか、その姿はどこにも見当たりません。「ゴルムはもうこのままセビリアの猫になってしまうんだ」と、その夜は家族全員、イスラム文化の影響を受けた美しい街中を散策しつつも、意気消沈したまま過ごすことになりました。しかしその翌朝、コンシェルジュの男性が、ついさっき数軒先にあるフラメンコ教室の辺りで赤毛の虎猫を見かけたというではありませんか。慌ててその場所まで行って名前を呼ぶこと数回、家屋の壁の狭い隙間からゴルムが悪びれもせずに現れました。
フラメンコはイスラム文化の影響を受けた舞踏だといわれています。考えてみれば、ダマスカス出身の野良猫の遺伝子がフラメンコ教室から聞こえてくる音楽に引き寄せられたとしても不思議はありません。一緒に探してくれたコンシェルジュの男性もその理屈に妙に納得し、その後もゴルムともどもセビリアの旅を楽しんだのでした。
やまざき まり
漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。2024年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』『貧乏ピッツァ』、作品集『ヤマザキマリの世界 1967─2024』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中、1巻が好評発売中。
(SKYWARD2025年3月号掲載)
※記載の情報は2025年3月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
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