とっておきの話

ホッパーの描いた美しき寂寥感【ヤマザキマリの世界逍遥録】

文・イラスト/ヤマザキマリ

アメリカ合衆国東北部、マサチューセッツ州の東端に、人が腕を折り曲げているような不思議な形の、ケープコッドと呼ばれる細い半島があります。鱈(コッド)の漁場でもあったことからそのような名称になったそうですが、この半島はもともと欧州から船でアメリカ大陸へ渡ってくる探検家たちの目印であり、北アメリカでは最初にヨーロッパ人が入った場所の一つでもありました。

 
歴史的に重要な土地でありながら、19世紀の思想家で博物学者のヘンリー・デイヴィッド・ソローが「野良犬が群れて彷徨(さまよ)っているような、地球上で最も興味をそそらない陰気さ」と書き残しているほど、当時この辺り一帯は殺伐としていたようです。

 
そんなケープコッドも今では人口23万人、古(いにしえ)のニューイングランドのノスタルジックな雰囲気と、ケネディ家の別荘所在地、ロブスターの特産地として有名となり、夏には多くの観光客が集まるようになりました。

 
私が初めてケープコッドの存在を知ったのは、子どもの頃、米国人の画家エドワード・ホッパーが描いた、半島一帯に点在する古い灯台や木造家屋の絵を通じてでした。当時暮らしていた北海道の空気感と、そこに描かれている雰囲気がどことなく似ていたのが強く印象に残りました。

 
それからだいぶたって実際にケープコッドを訪れてみると、私の目の前に広がっていたのはホッパーが描いた通りの、眩い光と強い影のコントラストが織りなす、どこか寄るべない切なさを湛えた光景であり、ホッパーがいかにこの土地の性質を熟知していたのかを痛感しました。

 
観光客がすっかり姿を消した秋の国立海浜公園の砂丘には、褐色のアメリカンビーチグラスが風に揺れ、その向こうに広がるブルーグレーの海の寂寥とした美しさは、まさにケープコッド特有のもの。今でもあの捉えどころのない景色を思い出すと、心の老廃物がすっと払い落とされるような心地を覚えます。

 
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。

 

(SKYWARD2022年3月号掲載)
※記載の情報は2022年3月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

 

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