「壁もドアもない宿」という言葉に惹かれ、衝動的に荷物をまとめて向かったのは、バリ島の文化地区ウブドからさらに北上した位置にある、パヤンガンという地域のリゾートホテルでした。漫画やエッセイの原稿をどっさり抱えての滞在なので“リゾート”とはいきませんが、こんな開放感のある場所なら引きこもりでも苦にならず、仕事も捗(はかど)るはず、というのが私の直感でした。
ホテルに到着し、ジャングルの谷間にある我々の宿泊棟に案内されたときは、目の前にどこまでも広がる圧倒的な大自然と、ホテルの説明どおり「壁もドアもない」建物の佇まいに、思わず歓喜の声が漏れてしまいました。セキュリティの強固さもさることながら、外からの風も心地よく、滞在中は外と室内を仕切るカーテンを開くことは一度もありませんでした。寝室の周りは蚊帳のようにレースのカーテンで囲まれ、そこだけ冷房が入るようになっているので夜は快適に眠れます。
そしてなんといっても私が感激したのは、テラスに置かれていた大きな浴槽でした。地元の職人が作ったという真鍮(しんちゅう)製ですが、部屋に入るなりすぐにお湯を溜め、壮大なバリの自然と空を飛び交う鳥や昆虫たちを眺めながらの露天風呂はまさに極楽そのもの。
別棟のレストランで供されるのは全て地元の食材を使った料理で、この宿泊施設が企画した料理教室に参加した息子の話によると、まずは近くの村までスタッフと同行し、野菜からハーブ、鶏に至るまで、全ての食材を集めるところから授業が始まったとのこと。料理を盛る食器にはココナッツの殻や割った竹を使い、見た目も味覚も全てが地球と一体化したような調和に包まれていました。
お陰で抱えてきた仕事は全てこなし、英気を十分に養うこともできました。この世にこんな場所があるのなら、まだまだ頑張れるな! という気持ちになれる、そんなパヤンガンの宿でした。
やまざき まり
漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。2024年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』『貧乏ピッツァ』、作品集『ヤマザキマリの世界 1967─2024』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中、1巻が好評発売中。
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