半島彩発見

【能登半島】石川県七尾市
一本杉川嶋 料理長
川嶋 亨さん

文/中津海麻子 撮影/ミヤジシンゴ

(かわしま とおる)
1984年、石川県七尾市生まれ。金城大学短期大学部を卒業後、エコール 辻 大阪の辻日本料理マスターカレッジに進学。2006年に卒業後、大阪「割烹 錦水」に就職。約7年間の修業後、大阪「老松喜多川」、京都「桜田」、大阪「居酒屋 ながほり」で日本料理の経験を重ねる。2016年の春には故郷七尾市に戻り、和倉温泉の旅館「のと楽」にある「割烹 宵待」の料理長に就任。地域の人々との交流を深め、2020年7月、日本料理店「一本杉川嶋」を開業。2024年1月の能登半島地震により店が被災し、現在は復興に向けて活動中。2026年春に新店舗開業を目指している。
https://www.instagram.com/ipponsugi_kawashima/

 

一本杉通りが、七尾が、そして能登が、さらに発展していくことを目指して

金沢から1時間半ほど車を走らせ、能登半島へ。和倉温泉で知られる七尾市に、ミシュランの星を獲得し、なかなか予約が取れない人気店がある。「一本杉川嶋」。震災の前は、川嶋亨さんの料理を目当てに全国から美食家たちが押し寄せた。地震で店が被災してしまったため、今は暖簾がかかってはいない。
 
川嶋さんはこの地で生まれ育った。父は和倉温泉の名旅館「加賀屋」で総料理長を務めていた。若くして厨房の指揮官となった父は仕事人間で、「一緒に遊んだり旅行に行ったりという思い出はありませんね」と川嶋さん。こう続ける。
「家庭を顧みることすらできない料理人という仕事は、子どもながらに嫌だなと思っていた。でも一方で、父に対して憧れみたいなものも感じていたように思います」
 

▲七尾の目抜き通り「一本杉通り」。「街並みを残しながら、ここを『食の通り』にするのが僕の夢です」と川嶋さん。

 
小学校から高校まで野球一筋の日々を送り、高校卒業後は強豪校の短大に進学した。その2年間で将来を考えるうちに、「料理がしたい」という気持ちが強くなっていった。20歳で大阪の調理師専門学校へ。高校卒業したばかりの同級生より2年遅れのスタート。遅れを取り戻すため、授業は最前列で受け、帰宅してからも練習に励んだ。結果、首席で卒業する。専攻は和食。「同じ道を歩んでみて父の大変さがよくわかった。父を超える料理人になる。それが目標になりました」

 

▲厨房の川嶋さんは、真剣ながら、ただただ楽しそう。「料理をしているときが一番ワクワクする。思う存分料理ができない今、そう痛感しています」

 
大阪の料亭で修業を積み、26歳のときには料理のコンテストで和食部門の優勝に輝き大阪No.1の栄誉を手にした。結婚し子どもにも恵まれた。順風満帆に見えた料理人人生は、しかし、突然暗転する。バイク事故で全身打撲の重傷。肩を骨折し、医者からは「もう料理はできないだろう」と告げられた。
 
諦めることなく懸命のリハビリで、奇跡的に復活。川嶋さんは「最高峰の日本料理店」と憧れていた京都の名店「桜田」で再スタートを切り、親方に次ぐNo.2である煮方を任されるまでに。
「ここでの修業があるから今の自分がある。文字通り、僕は生まれ変わったのだと思います」

 

▲日本海の冬の味覚の王様、ズワイカニ。石川県で水揚げされたはオスは「加能ガニ」のブランド名で、漁港名が記された水色のタグがその証だ。

 

▲ぎっしり詰まったカニの身!「この美味しさを最高に楽しめる火入れをします」と川嶋さん。

 
そろそろ自分の店をと考え始めていた2011年、「能登の里山里海」が世界農業遺産に認定された。「これで故郷が盛り上がっていくんだろうと期待しました。ところが、3年、5年と時間が過ぎてもその気配がまるでない。能登には里山、里海が生み出す素晴らしい食材があるのに、大阪や京都には届いていなかった。課題が山積みだったのです」
 
素晴らしい食材も「原石」のままでは宝の持ち腐れだ。川嶋さんは「料理人として、磨いて輝かせたい」という思いを強くする。と同時に、生産者たちの声を聞く中で、目の前の風景が大きく開けていったという。
「それまで料理は料理人の腕次第だと思っていた。傲慢でした。目の前のひとつの皿は、たくさんの人たちの仕事と情熱に支えられていると気付いたのです」

 

▲鉢物。能登野菜・中島菜おひたし、白子ポン酢、梅おろし大根、土佐酢ジュレかけ、花穂紫蘇。白子のトロリ、おひたしのシャキシャキ感、ジュレのつるんとした喉越し、梅や紫蘇の香り……。さまざまな食感や味わい、香りの「五味五感」が芸術的に器の中に表現される。

 

▲椀物。水と塩だけで炊いた採れたてのカブ、能登のズワイガニミディアムレア火入れ、天然野セリ、白味噌仕立て。絶妙な火入れで仕上げたカニはトロリと口の中でとろけ、旨味と香りが口の中に広がる。驚きはカブ。甘さやジューシーさが際立つ。「この椀は、カニだけでなくカブも主役なのです」と川嶋さん。

 
考えに考えた末、川嶋さんは七尾に戻る決意をする。
「そのまま大阪で商売していたほうが楽だったかもしれない。でも、一歩間違えば落としていたかもしれない命。もし生かされたのならば、今まで以上に料理に励み、自分ではなく誰かのために生きよう。微力でも七尾のためにできることをやっていこう——。そんな覚悟で帰郷を決めました」
 
川嶋さんは畑や漁港に通い、食材が生まれる場所を見て、作り手の声に耳を傾け、時に作業を手伝って交流を深めていった。そして、単なる取引相手ではなく、一緒に七尾を盛り上げていこうという「チーム川嶋」が誕生した。

 

▲「チーム川嶋」の農家、稲葉さんの畑で。採れたてのカブに、思わずガブリ!

 
川嶋さんが「スーパー農家」とリスペクトする稲葉清弘さんの畑を訪ねると、カブが旬を迎えていた。自然栽培の稲を刈り取った後の田んぼで栽培しているという。手がける作物は、能登牡蠣の殻、酒や醤油など発酵食品を造った後に出るカス、能登牛など畜産で出る堆肥などを使う、循環型の「牡蠣殻農法」で栽培している。「能登の里山、里海の恵みの循環によって育まれる。うまいよ」と稲葉さん。生のまま試食させてもらうと、大ぶりなのにキメが細かくて柔らかく、驚くほど甘くジューシー! まるで梨のようだ。「石川県の冬のごちそう『かぶら寿司』にすると絶品!」。川嶋さんから思わず笑みがこぼれる。

 

▲「川嶋さんが頑張ってる姿に、俺たちももっと踏ん張らないとと励まされるよ」と稲葉さん。

 
日本海の幸の目利きでは全幅の信頼を置く「すぎ省水産」へ。社長の笹本和茂さんから受け取った最高級の加能ガニに満面の笑みを浮かべつつ、川嶋さんの視線はなまこの水槽へ。「七尾ではなまこをよく食べるんです。酢の物が多いけれど、僕は特製のおかゆを作る。これを目当てに来るお客さんもいるほど」と言いながら、早速笹本さんに選んでもらい持ち帰ることに。食材選びは、まるで生産者の皆さんとのセッションのようだ。「能登の食材が持つ力を料理で発信してくれる。ありがたく、心強いですね」と笹本さん。

 

▲川嶋さんの父と笹本さんの義父で先代の社長も交流があったという。親子二代、七尾の食文化を支え、盛り上げる。

 

▲(左から)青なまこと赤なまこ。赤の方が高級品とされる。七尾湾は上質ななまこが獲れる。ズワイガニの解禁とともに漁が解禁される。

 
こうしたチームの仲間の支えもあり、2020年、満を持して自らの店「一本杉川嶋」を開店した。目抜き通りの一本杉通りにあった築100年近くの文具店をリノベーションしたのは、「この街の景色を残したかったから」。
カウンター8席のみ。能登の最上級の食材を用い、七尾の伝統文化で演出する川嶋さんの「ステージ」は多くの健啖家を魅了した。
「能登で一番上質の食材を最高の料理で召し上がっていただく。『七尾まで来てよかった』と喜んでいただくことが、僕や生産者の皆さんの一番の喜びだから」
さらに、七尾を訪れる人にゆっくり滞在を楽しんでもらおうと、川嶋さんは近くに宿泊施設を備えたオーベルジュを設けようと奔走した。

 

▲七尾では江戸時代から和ろうそくが作られてきた。「高澤ろうそく店」は明治25(1892)年創業。現在、石川県で唯一、伝統の和ろうそくを作り続けている。植物性の材料を用いており、「植物の恵みをいただいているのです」と5代目の高澤久さん。

 

▲その名も「一本杉」と名付けられた高澤さんの和ろうそくを川嶋さんは店の中に灯し、ゲストを迎えていたという。「ろうそくの火をふっと消した瞬間、料理を楽しむステージが開幕する。そのドラマチックな瞬間を和ろうそくが演出してくれるのです」と川嶋さん。

 
「さぁ、これから」。春のオープンを目前に控えていた2024年1月1日、能登を未曽有の大地震が襲う。オーベルジュの建物は全壊、店は倒壊は免れたが大きな打撃を受け、修業時代からコツコツと集めていた器の多くは瓦礫と化した。「わずか1分で店も自宅も壊れ、街の景色が変わってしまった。正直、もうダメかなと思いました」。しかし、仲間たちが前を向こうとする姿に奮い立つ。川嶋さんは地元の料理人たちと一緒に避難所での炊き出しに力を尽くした。「『ありがとう』という言葉をもらうと、生きていると実感できました」
 
ところが、春を迎えると次々と炊き出しが終了。ふと周りを見ると、みんな復興に向け着実に動いていた。「僕は店の片付けすら手付かずのまま。これまで一体何をやってきたんだろうと、抜け殻のようになってしまった」
 
気力を失い、送られてくるメールに返信もできない日々が続いた。家族や仲間の支えで少しずつ自分を取り戻すことができたとき、季節は真夏に。川嶋さんはようやく一歩を踏み出し、失った時間を取り返すかのように精力的に動き始めた。
「もう一度生まれ変わった。そんな気がしました」

 

▲(上)「一本杉川嶋」は築100年近い時を刻んだ、登録有形文化財にも指定される文具店の建物を改修した。(下)3軒連なる古民家を、今後レストランや商品開発のスペースにする予定。新たな一歩を、川嶋さんは生まれ育ったこの地で踏み出す。

▲(左)「一本杉川嶋」は築100年近い時を刻んだ、登録有形文化財にも指定される文具店の建物を改修した。(右)3軒連なる古民家を、今後レストランや商品開発のスペースにする予定。新たな一歩を、川嶋さんは生まれ育ったこの地で踏み出す。

 
登録有形文化財に指定されている店の修復にはまだまだ時間がかかる。そこで、通りを隔てた向かいの民家を買い取り改修し、新たな店をオープンしようと計画している。「一本杉川嶋」より価格帯を抑えたカジュアルスタイルの料理店で、2026年春のオープンを目指す。さらに、地場食材を使った商品開発にも取り組んでいく考えだ。
「チームの仲間たちの協力もあって、能登の中でも最上の食材が集まってきます。それ以外の、例えば規格外のものも買い上げることで、生産者の皆さんの収益になるのはもちろん、食材を有効に使う商品を作る場があれば新たな雇用が生まれる。さらに、料理人を目指す人たちの育成にもつながれば」
 
実は、この構想は以前から思い描いていた。「震災で時間ができたからこそ推し進めようと思えた。復興するだけでなく、一本杉通りが、七尾が、そして能登が、さらに発展していくチャンスに変えていきたい」

 
石川県七尾市へのアクセス
東京(羽田)、沖縄(那覇)から小松空港へJALグループ便が運航。小松空港から七尾市まで車で約1時間半。
※最新の運航状況はJAL Webサイトをご確認ください。

 
 

半島彩発見 関連記事

半島彩発見 関連記事

キーワードで記事を探す