とっておきの話

南国ビーチでヴァイオリン【ヤマザキマリの世界逍遥録】

文・イラスト/ヤマザキマリ

息子のデルスが小学生だった頃、当時シングルマザーとして日々仕事に奔走していた私でしたが、3カ月おきに休暇を取って息子を旅に連れて行くのが習慣になっていました。

 
オーケストラのヴィオラ奏者だった私の母も、早くに夫を亡くしたシングルマザーでした。彼女もやはり時々われわれ娘たちに学校を休ませて、一緒に旅をしたりドライブをしたりする人だったので、そんな子育てを私も引き継いでいたのです。

 
ある日、今度の休みにはフィジーに行くことにしたと母に告げると、急に自分も同行したいと申し出がありました。南の島には全く興味を示さない母にしては珍しい提案なので動機を聞いてみると、「デルスがヴァイオリンを怠けないように付いていくのよ」と一言。

 
びっくりする私の傍らで息子は「いいよ、べつに」と毅然とした態度。母は自分の娘たちが音楽の道を継がなかったため、わずかな期待を孫に寄せていたのですが、そんな祖母を傷つけたくない孫の慈愛が表情に浮かんでいました。

 
フィジー本島から飛行機を乗り継ぎ、目的地の小さな島は美しい海に囲まれた楽園そのものでした。海の中には色とりどりの熱帯魚が泳ぎ、眩しい太陽の光を浴びながら楽しい時間を過ごしていると、ビーチで手を叩いてデルスを呼ぶ母の姿が目に入ります。

 
「いいよ、行かなくて。私から言っておくから」と声を掛けるも、「いいんだよ、ばば(祖母)が気の毒だから」と、海から上がるなり母からヴァイオリンを手渡され、そこでお稽古が始まるのでした。

 
南国のビーチに響くヴァイオリンの音を不思議に思ったのか、同じ宿泊施設に滞在していたオーストラリアの老夫婦が様子を見にきたことがありました。そのあまりにミスマッチな光景に「あの子は将来すごいヴァイオリニストになるわね」と苦笑い。

 
ちなみに息子はその後ヴァイオリンをチェロに持ち替えて、今も細々と続けています。

 
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。

 

(SKYWARD2022年8月号掲載)
※記載の情報は2022年8月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

 

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