とっておきの話

二つのお面とバリ島の思い出【ヤマザキマリの世界逍遥録】

文・イラスト/ヤマザキマリ

へそ曲がりな私はバリ島という観光地に出かけたときも、クタのような賑やかな場所から離れた静かな地域のホテルを選び、滞在中はなるべく観光客の目に晒(さら)されていない素のバリ島を知りたいと思い、ある日丸1日タクシーを貸切にして、行ける範囲まで巡ってみることにしました。

 
ドライバー歴30年というその年配の運転手さんは、移動の間、デンパサールがかつてはバドゥン王国の首都でバドゥンと呼ばれていたこと、19世紀末からオランダに侵攻された際に王宮も寺院も壊されてしまったこと、その後は日本軍の占領下におかれた話など、バリ島の歴史や概要をシンプルな言葉で上手に伝えてくれました。今は観光一色に染まってしまったから、そんな過去の悲しい面影はもう残っていない、という彼の言葉がいたく染み入ります。

 
ひと気のない古いヒンドゥー寺院などを訪れた後に連れていってもらったのは、デンパサールの中で最も大きなバドゥン市場でした。観光客の姿はあっても生鮮売り場などは地元の人々で活況を呈しています。

 
散策していると、ふと古い調度品を売っている店が目に入ってきました。かなり年季の入った聖獣バロンのお面を一つ手に取って見ていると、年老いた店の主人(あるじ)が寄ってきて、長い舌を垂らした怖い形相のお面を指差し、これと対で買いなさいと勧めてきました。

 
あまりに真剣な顔つきで説得してくるので、戸惑いつつも結局二つとも購入。腑に落ちない気持ちでタクシーに戻り、一つだけ買おうと思ったのにもう一つ押し売りされたと伝えたところ、「聖獣バロンと魔女ランダは対でなければならない。白と黒、プラスとマイナス。どちらか一つであってはならないのがこの世界。だからあなたの買い物は正しい」とのこと。

 
バリ島での束の間の思い出は、この二つのお面の効果でいつまでも色濃く私の記憶に焼き付いているのでした。

 
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。

 

(SKYWARD2023年4月号掲載)
※記載の情報は2023年4月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

 

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