とっておきの話

バター茶と絨毯【ヤマザキマリの世界逍遥録】

文・イラスト/ヤマザキマリ

青蔵鉄道は、標高5072mを通過する世界一高い場所を走る鉄道です。シカゴに暮らしていた頃、この鉄道のドキュメンタリーを見た私は、数カ月後にはこの列車に乗り込んでいました。しかし、安直な衝動はろくな顛末を招きません。列車が出発して間もなく、体調を崩して立ち上がれなくなってしまったのでした。高山病です。

 
ラサにつくなり医者の厄介となり、点滴を打って一晩寝たところ、翌日には何事もなかったように回復。その日は標高3700mに位置するポタラ宮を訪れ、翌日もその翌日も失われた体力を取り戻す勢いで動き回っていると、現地ガイドから「あなたすごいね」と感心され(または呆れられ)、いい気になっていました。

 
ところが今度は突然お腹がしくしくと痛み始めたのです。朝に訪れた農家で飲みまくったバター茶が原因でした。言葉が通じないときは食の外交力を発揮させるしかないと、その日も14、5杯は飲んだでしょうか。放牧されているヤクとそのお宅の可愛らしい息子さんをスケッチし、それを残して市街地に戻ってきたとたん気分が悪くなってしまったのです。

 
目の前にあった絨毯屋さんでトイレを借りて休んでいると、売り物として広げられていた畳1畳ほどの絨毯に目が止まりました。ヤクの毛で織った絨毯だそうで、触り心地も柄も何もかもが特別な感じがしました。

 
すると店の主人が奥からまたしてもバター茶を運んできて、私にその絨毯を買えと勧めます。結局2割ほど値引きしてもらい売買成立。バター茶腹痛が治った直後に絨毯を担いで歩く私を見て、再び現地ガイドが呆れたように「ヤマザキさんの体力異常」と呟いていましたが、私はちょっと誇らしい気持ちになりました。

 
この絨毯はその後、ラサからシカゴ、そしてイタリアのパドヴァへと旅して、現在は東京の仕事場で、今日も猫と私をバター茶の思い出とともに癒やし続けています。

 
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。

 

(SKYWARD2022年1月号掲載)
※記載の情報は2022年1月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

 

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定価:1,430円(税込)
発行日:2021年3月31日
サイズ:四六判(天地:188mm/左右:128mm)
総ページ数:176ページ

 
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