旅への扉

インカのご馳走からモダン・ペルーヴィアンへ。 悠久の時を超えて蘇る美食

文/鈴木博美 撮影/Ryoichi Sato

カレーやポテトサラダ、肉じゃがなどいろいろな料理に使われる、一般家庭料理の代表的な食材「ジャガイモ」。その原種、ルーツは地球の裏側アンデス山脈にある。南北7500kmにわたって南米大陸を縦断するこの山脈は、ジャガイモをはじめ多くの固有種を生み、また多様な文化、文明を育んできた。その一つがインカ帝国だ。前身となるクスコ王国を含め、わずか200年余りでアンデスを支配したインカ帝国。その奇跡の繁栄を支えたのが、アンデスの農耕文化だったことをご存じだろうか。

 

インカ帝国を支えた聖なる谷

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▲オリャンタイタンボ。急斜面に連なるダイナミックな遺跡は圧巻。

 
凛とした高地らしい空気に包まれるなか、第9代皇帝パチャクティの像がクスコの空に映えている。標高3600mに位置するクスコは、ケチュア語で「ヘソ」を意味し、インカ帝国の都だったところ。帝国の最盛期を迎えた15世紀後半から16世紀初頭には、北はエクアドルから南はチリまで領土を広げ、クスコには国内外から人々が集まり、まさに世界の中心として隆盛を極めた。その繁栄は、後にインカ帝国を征服したスペインのコンキスタドールが、「宮殿は金銀に溢れ、農牧業や道路網が発達し、富は公平に分配される互恵政治が行われていた」と語ったほどだ。しかし、そんなインカ帝国だが、高度な文明や建築技術は有していたが、残念ながら文字を持たなかったことから、いまだ多くは謎に包まれているのだ。

 
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▲(左上から時計回り)パチャクティの像。クスコの名所「12角の石」は、往時の精巧な石組み技術を伝える。マチュピチュ遺跡。ペルーの食卓に欠かせないトウモロコシ。

 
そんなインカ帝国の都クスコとマチュピチュの間に広がる一帯は「聖なる谷」と呼ばれ、下流にあるアマゾンからの湿った空気が、谷間を流れるウルバンバ川沿いに流れ込むことから年間を通して温暖なため、インカ帝国の食料供給を担う穀倉地帯となっていた。谷間の斜面には、アンデネスと呼ばれる段々畑が作られ、高低差や温度差を利用してジャガイモやトウモロコシ、トマトなど、アンデス原産の作物を同時に栽培する垂直農法がなされていた。こうした農作物の安定した供給こそ、インカ帝国の礎となり、わずか数世代で大帝国を築けた要因の一つだと考えられている。

 
またこんな逸話もある。コンキスタドールが攻め込んできた時期と農作物の収穫時期がたまたま重なってしまったため、農民の多くは戦意よりも収穫を選択した。このことにより、インカ帝国は崩壊への道を進むことになってしまった。それほどインカの民にとって、太陽と大地の神からの恵みは何よりも大切だった。インカ帝国を支えたのも崩壊を進めたのもアンデス原産の農作物。皮肉のような逸話だ。

 
聖なる谷のほぼ中間にあるオリャンタイタンボ村の背後に聳(そび)える丘の急斜面に、視界いっぱいに広がる石垣を積み上げた段々畑がある。ここは、儀式のための広場、食料貯蔵庫などいくつもの働きを持っていた場所とされ、宗教的、政治的、軍事的にも重要な場所だったと考えられている。聖なる谷には、インカ時代に建設された石畳や灌漑用水路、石造りの家が今なお使われ、当時の面影を色濃く残す村が点在する。民族衣装を纏(まと)った住人が行き交う風景は、まるでインカ時代にタイムスリップをしたかのようにノスタルジックな雰囲気が漂う。

 

インカ時代の食の実験場、モライ遺跡

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▲インカ時代の農業実験場と考えられているモライ遺跡。

 
クスコから車で約1時間半走ると、車窓からは深く切れ込んだ聖なる谷、そして6000m級の山々が連なる壮観なアンデス山脈が旅情を誘う。小さな村を抜け、標高3500mにある平坦に見える尾根に差し掛かったところで突然、宇宙人の創作物のような不思議な景観が目に飛び込んで来た。モライ遺跡だ。

 
円形劇場のように見えるこの遺跡は、インカ時代に農業研究の中心地としての役割を果たしていたと考えられている。数カ所あるなかでも、一番大きな「ムユ」と呼ばれる円形劇場風のサークルは、円形と半円形のアンデネスが組み合わさったユニークな形をしている。12の通路、上段と下段のアンデネスの高低差は100mほどもある。こうした高低差、また季節や方角による日照時間などを考慮し、さまざまなミクロクリマ(微気候)に適応する農作物を研究していたといわれる。その数は約250種類。

 
そんな農作物の一つジャガイモは、インカ帝国を征服したコンキスタドールによって、金銀の財宝とともに16世紀にスペイン本国へと渡った。その後、ヨーロッパ全土に広まり、17〜18世紀にヨーロッパ全域を襲った飢饉から多くの人々を救ったのは有名な話だ。インカ帝国の繁栄を支え、飢餓を救ったジャガイモをはじめアンデス原産の農作物の多くは、ここモライ遺跡でインカの民による緻密な研究と卓越した農業技術によって生まれたインカ帝国の宝といっても過言ではないだろう。

 

現代に蘇った食の実験場「ミル・セントロ」

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▲伝統的な食材を、現代的なプレゼンテーションに翻訳する「ミル・セントロ」の料理。

 
眼下にモライ遺跡を望む高台に立つアドベ造りの小屋。周囲にはモライ遺跡のほか、人が住めそうな家もなく、放牧中のアルパカと牛の姿しか見えない。こんな辺境の地に世界中から美食家がこぞって集まるという。

 
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▲高台に立つ美食の館「ミル・セントロ」。伝統工法の建屋に洗練されたインテリアが映える。

 
ここ「MIL Centro(ミル・セントロ)」は、「世界のベストレストラン50」で常に上位に君臨する、首都リマにあるモダン・ペルーヴィアンの名店「セントラル」を経営するオーナーシェフ、ヴィルヒリオ・マルティネス氏が手がける食物研究所レストラン。アンデスの高地でさまざまな食材を育んだインカの民に敬意を表し、標高3500m以上の周辺の農家で採れた食材だけを使うようにしているという。

 
また付近のアンデス一帯の1000種に及ぶ食用植物を採取、研究していることから、スペイン語で「1000」を意味する「MIL(ミル)」を店名に掲げている。スタッフのなかには海外から来ている農業学者もおり、畑仕事を手伝いながら収穫した食材を研究し、料理人と調理方法を考える。また、ミル・セントロが存在することで農家の収入向上にもつながり、お互い価値を高めあえる仕組みができている。さて、その味はいかに。

 
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▲「ミル・セントロ」にて。美しいセッティングの店内でゆったりとした時間を過ごせる。

 
「ミル・セントロ」で提供する料理は「Tasting menu / High Altitude Ecosystems」と銘打たれた1種類のコースのみ。

 
「Preservation(保存)」から始まるコース料理は、
「Plateau(アンデス高地)」
「Andean Forest(アンデスの森)」
「Diversity of Corn(トウモロコシの多様性)」
「Extreme Altitude(極端な高地にある湖)」
「Central Andes(中央アンデス、クスコ料理)」
「Frozen Cordillera(山脈のアイスクリーム)」
「Sweet Huatia(カカオのワティア)」のスイーツ2皿の合計8皿。

 
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▲左から「Extreme Altitude」「Central Andes」「Andean Forest」。

 
どの料理もネーミングからは想像がつかない。出てきた料理を五感、特にその料理の説明を聞くことでプラスアルファの口福が生まれる。なかでも「Extreme Altitude」は標高4000mの高地の湖で採れる「Cushuro(クシュロ)」と呼ばれる藻のサラダ。一見「緑色のイクラ」のようなものがクシュロだが、食感もイクラそのもの。でも藻の仲間なのでイクラの味はしない。不思議な食べ物との出合いだ。

 
また「Central Andes」は、クスコ地方に伝わるインカの民が愛するジャガイモの蒸し焼き「Huatia(ワティア)」。ワティアとは、地面に穴を掘りジャガイモを並べ、焼いた石で蓋をして蒸し焼きにするアンデス版の石焼き芋。そしてこの料理に使用されるジャガイモが「Papa Nativa(パパ・ナティーバ)」と呼ばれる4000~5000種類もあるといわれるジャガイモのなかでも原種に近い。今や市場に出回ることもない希少なジャガイモだという。どの料理も驚きは尽きない。

 
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▲ミル・セントロから望む、悠久の時を感じさせる風景。

 
多くの植物の原種が存在するアンデス地方で、人々は長い年月をかけて改良を加えて食料としてきた。ミル・セントロで出合う料理は、そんな知られざるアンデスの食材を、アート作品のように甦らせたインカのご馳走たち。昼過ぎにテーブルについた後全8皿をすべて食べ終える頃には、太陽はアンデスの山々に沈み始めていた。単なる美味しいにとどまらない食体験は、まさにインカの大地に触れるような時間だった。

 

MIL Centro
URL:www.milcentro.pe

 
 

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