深くは約58.5mまで潜り、延べ約402kmの路線がつながるロンドンの地下鉄網。東京で最深部を走る都営大江戸線が約42mだから、それより16m以上深いことになる。直径約3.5mのトンネルに沿った丸いデザインの車両に、長身の人がドア付近で頭を傾けながら乗車してくる光景が微笑ましい。開設して157年、世界最古の地下鉄への誇りと引き換えに、不自由に甘んじている。
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ロンドンで一番、小さな地下鉄
ロンドンにはそんな地下鉄より狭く、暗く、体を折るほどの小さな車両に、人々が嬉々として乗り込む地下路線がある。トンネルは直径約2.1mだから、車両の小ささは推して知るべし。深さは約21mと、小さくても立派な地下鉄だ。
それは約75年の間、郵便配達専用列車として活躍し、2003年に運行は廃止されてしまったが、3年前に郵便博物館の体験乗車アトラクションとして復活した「メールレール」だ。ルートは全長約10.5kmで、およそ15分の乗車体験ではその一部を体験できる。
都市の動脈になった、ロンドンの「毛細血管」
数字の羅列はさておき、メールレールに乗り込んでみると、すべてがミニチュアで、子どものころに乗った遊園地の汽車っぽい。車両には横並びの二人座席が設置されている。ロンドンの地下鉄の愛称は、トンネルを造った掘削機の形状に由来し「チューブ」というが、メールレールはトンネルの直径がとびきり小さく、いかにもチューブらしい。
都市構造を人体に例えるなら、メールレールは隅々まで体の機能を活性化させる、毛細血管というところか。都市の皮膚下ですばやく目的地に情報を運びこむ地下鉄郵便は、1960年代のSF映画『ミクロの決死圏』に登場する、人体内から治療に挑むミクロの潜水艦を連想させる。
サンタクロースの役目も
1927年12月。メールレールは、クリスマスプレゼントを満載した「贈り物専用列車」として華々しく初運行。溢れる馬車で慢性化した地上の交通麻痺を尻目に、東西をわずか30分で、しかも無人運転で結ぶ快挙を遂げる。翌年2月には郵便の配達が始まり、ピーク時には1日22時間操業し、400万通ほどをさばいたというから、自転車操業ならぬ、自動列車操業だ。
第二次世界大戦中の戦禍では、爆撃に晒される危険のある地上郵便に比べ確実・迅速な手段であり、非常に有益な存在だった。大英帝国を指揮し勝利に導いた、時の首相チャーチルの手元へとひた走る書簡もあっただろう。車輪に磨かれて銀光を放つ線路を駆ける体験が、任務を帯びた一通の書簡に折り重なる。実際の速度よりスピードを感じ、思わず体を傾けるとカーブが消失点へと突き進む。
乗客は2つの停車駅で、メールレールにまつわる映画を乗車したまま、見ることができる。列車の内部では、かつて従事した郵便職員による思い出話まじりの「アナウンス」が流れ、閉塞感がなくアトラクションとしても申し分ない。しかし8つある駅の大半はまだ、眠っている。いつの日か全駅走破できるようになればさぞかし、楽しいことだろう。
「気圧鉄道、再び」への挑戦
地下郵便鉄道に着手した当初はトンネル内を減圧し、列車前後の気圧差で生まれる動力による運行計画が進んでいたというのが、近未来的だ。実は英国ではこれに先駆け、技術者ブルネルが1848年に短期的に実現させた「大気圧鉄道」があった。機関車の動力がまだ蒸気の時代に、地下鉄敷設を視野に入れた構想でもあったが、やがて台頭してきた効率のよい電気化に道を譲る。
このメールレールにおける「敗者復活戦」も、トンネルの気密性の保持が難しく同じ轍を踏んだが、ブルネル的発想でチャレンジした英国らしいフロンティア精神はあっぱれ。その後、1854年には同じ原理で書類を高速で送る小型のエアシューター(気送管ポスト)が実用化された。古い記録映画などで見ることもあるシステムは、この郵便博物館でも展示されている。
500年にわたって進化した英国郵便の歴史が一堂に会する階上スペースには、馬車から自転車、モーターバイクなど歴代の郵便配達車が展示され、ポスター類、世界初の切手である「ペニーブラックス」などの展示もある。街の暮らしに溶け込みつつもさりげなく目立つ、英国の用の美ともいえるポップなデザインが楽しい。
ネットオーダーによる郵便物配達が増え、無人自動運転の車やドローンが一般的な概念となっていくなか、無人配達による高速大量輸送を実現させ、およそ100年の時を超えてアトラクションとして蘇ったメールレール。ソーシャルネットワークの元祖である「郵便」の歴史を、ひもといてみてはいかがだろう。
郵便博物館 The Postal Museum
電話:44-300-030-0700
住所:15-20 Phoenix Pl, London WC1X 0DA United Kingdom
開館時間:10:00~17:00
休館日:12月24日~26日
入館料:大人17ポンド、16〜24歳12ポンド、子供10ポンド(メールレールの乗車料金含む)
URL:www.postalmuseum.org/
山内ミキ
ロンドン在住のフリーランス・フォトグラファー。ロンドンで「意外とできる」田舎暮らしを実践。ペットは卵を産む3羽の鶏で、小規模の養蜂も営む。環境問題への取り組みとして、英国発祥の団体エクスティンクション・リベリオン(XR)で活動、同団体のサンバチームで太鼓を叩いている。
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