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世界では珍しい祝日「秋分の日」。その歴史と風習をおさらいしよう

「秋分の日」といえば、何を思い浮かべるだろうか。

 
「昼と夜の長さが同じ日」という認識の方も多いだろう。2020年の秋分の日は9月22日だが、毎年同じ日ではない。天文計算で決められ、その年によって日付は変動する。

 
近年では秋の大型連休「シルバーウィーク」の長さを左右するとあってか、日本人にとっては注目の祝日ともいえる馴染みのある日でもある。

 
一方で、観光やレジャーに適した時期ということもあり、旅行に行く人が増え、昔ながらの風習に薄れてきているように感じる。

 
そんな秋分の日の歴史や風習について今一度おさらいし、本来の意味を知ってみよう。

 

秋分の日とは。実は世界的に珍しい祝日

秋分の日を祝日とする「国民の祝日に関する法律」が公布・施行されたのは、昭和23(1948)年。前述のとおり、今年の秋分の日は9月22日だが、その年の太陽が秋分点を通過する日によって毎年日付を変える特殊な祝日である。

 
その年のなかで昼と夜の長さがほぼ等しくなる日を、春は「春分の日」、秋は「秋分の日」とそれぞれ定めているが、天文学に基づき祝日を決定することは、実は世界的に珍しいのだそうだ。

 
また、二十四節気の一つに、「秋分」という節気がある。二十四節気とは、中国から伝わった季節の節目を表す日に名称をつけたものである。これを日本が取り入れ、私たちの生活にも根づいている。

 

秋分の日は「秋季皇霊祭」と呼ばれていた。春分の日との違いは?

夕日

 
秋分の日は戦前、「秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)」と呼ばれていた。

 
これは、歴代天皇ならびに皇族の霊をまつる儀式を行う日のことだ。昭和23(1948)年に「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日として、秋分の日と改名。日本国民の生活に深く根づく祝日となった。

 
一方春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日として制定された国民の祝日。秋分の日と同じく、昭和23(1948)年を境に「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」から春分の日に改名された。

 
秋分の日・春分の日ともに同じ皇室行事を背景に持つ祝日ではあるが、意味には大きな違いがあることがわかる。

 
天文学的な違いはどうだろうか。春分の日は、その日を境に夏に向かって1日の日照時間が長くなる。一方、秋分の日は冬に向かっていくため、1日の日照時間が日に日に短くなっていく。

 
このように秋分の日と春分の日には、太陽の動きにも違いは見えるが、最も大きな違いはやはりその意味にあるだろう。春分の日は春の訪れを祝う意味合いが強く、秋分の日は先祖を敬う意味合いが色濃い。

 

秋分の日にまつわる風習

秋分の日は「彼岸の中日(ひがんのちゅうにち)」ともいわれている。秋分の日と深く関係しているこの「お彼岸」とは一体何を指すのだろうか。秋分の日にまつわる風習をひもといていこう。

 

秋のお彼岸にご先祖さまのお墓参り

お彼岸イメージ

 
秋のお彼岸は、秋分の日と前後3日間を合わせた7日間のことを指す。初日を「彼岸入り」、最終日を「彼岸明け」、ちょうど間の秋分の日を彼岸の中日と呼ぶ。

 
お彼岸は日本独特の風習で、その歴史は古く、平安時代から存在していたといわれる。また、仏教の世界では、先祖のいる悟りの世界を彼岸、今私たちが生きている世界を「此岸(しがん)」と表すそうだ。

 
秋分の日は昼と夜の長さがほぼ等しくになることから、この日は彼岸と此岸の距離が最も近い日と考えられ、先祖への感謝の気持ちを表しやすい日だと考えられるようになった。それがお彼岸の由来である。

 
こうしてお彼岸である秋分の日前後は、先祖を敬い、感謝を伝えることができる日として、お墓参りに行ったり仏壇に手を合わせたりするなど、先祖の供養をする日となった。

 

秋分の日の行事食「おはぎ」

おはぎ

 
彼岸の中日である秋分の日には、おはぎを食べる風習がある。その由来は諸説ある。一つは、小豆の赤には邪気を払う効果があるとして先祖に供えられたのがきっかけというものだ。

 
おはぎに使われる砂糖は、かつて貴重とされていた。このため、特に江戸時代の庶民にとっては、おはぎは贅沢な一品であった。

 
小豆は、縄文時代から食べられている日本人に非常に馴染み深い食材。

 
このことから、おはぎは先祖にお供えする上等な品、そして前述した邪気を払い健康を祈願する意味でも、お彼岸の行事食となった。このおはぎ、そもそも名前の由来は何だろうか。

 
秋の植物である萩。おはぎの名前は、これに由来している。萩の花が、小豆の粒によく似ている様子から「御萩餅」と呼ばれていた。そのうちに餅が取り払われ、「おはぎ」とひらがなで表現される現在の形になったそうだ。

 
春分の日に食べられる「ぼたもち」。おはぎと大変よく似ているが、どのような違いがあるのだろうか。ぼたもちは漢字で書くと、「牡丹餅」。春に咲く牡丹の花が、小豆と形がよく似ていることが起源だとされている。

 
ぼたもちもおはぎ同様、仏壇へのお供え物として春のお彼岸に登場する行事食だ。おはぎとぼたもちの違いについては、季節の違いをはじめ、さまざまな説が存在する。

 
例えば、餅の大きさに関する違いだ。おはぎに比べ、ぼたもちのほうが大きいとされており、牡丹の花の大きさをぼたもちで表現しているといわれている。

 
このほかにも、こしあんとつぶあんの違いとする説や使用する米の違いとする説などさまざまあるが、明確にこれだというものはない。確実にいえることは、春はぼたもち、秋はおはぎと呼ばれるということ。

 
ちなみに夏は「夜船(よふね)」、冬は「北窓(きたまど)」と呼ばれるおはぎ。これは、おはぎは餅をつかずに作れることから、「いつ餅をついたかわからない=つき知らず」といわれ、「夜は船がいつ着いたかわからない」ことから「つき知らず」=「着き知らず」と掛けて、「夜船」が夏の呼び方として定着。

 
冬は、北向きの窓からは月が見えないことから、「つき知らず=月知らず」と掛けて、「北窓」と呼ばれるようになった。

 
日本ならではの言葉遊びのセンスが、おはぎ一つで感じられるというのも面白い。

 

不思議な魅力を持つ花、曼珠沙華

まんじゅしゃげ

 
赤く独特な雰囲気が目を引く「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」。曼珠沙華とは、彼岸花の別名である。サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味をもつ。

 
秋分の日の頃に鮮やかな赤色の花を1週間ほど咲かせ、やがて葉になり、冬そして春を経て枯れるというほかの植物とは異なる特徴をもっている。

 
もとは中国原産で、日本では墓地や田んぼの周り、あぜ道でよく見かける秋分の日を象徴する不思議な花だ。 彼岸と此岸、あの世とこの世が最も近くなるとされる秋分の日に墓地の周りでよく見かけることから、曼珠沙華は「幽霊花」「死人花(しびとばな)」など奇妙な別名で呼ばれることも多い。

 
また、曼珠沙華が墓地や田んぼの周りに多く生育していることは、決して偶然ではない。曼珠沙華は、アルカロイド系の猛毒をもつ。特に球根部分に毒の成分が多く含まれており、誤って口にすれば、呼吸困難や痙攣、麻痺などを引き起こす。

 
この毒を利用して、田畑を荒らすモグラやネズミから大切な先祖の墓や田んぼを守るために植えられたといわれる。それがそのまま残り、今日の秋分の日の頃に彩りを添えることとなった。

 
曼珠沙華が観賞できる名所は全国各地にあるが、特に圧倒的な面積を誇るのは、埼玉県日高市の「巾着田(きんちゃくだ)曼珠沙華公園」だ。

 
弧を描くような高麗川(こまがわ)に囲まれた群生地は、開花の頃になると約500万本もの曼珠沙華が咲き乱れ、その光景は息をのむ美しさ。まさに彼岸にいるかのような、浮世離れした風景を見渡すことができる。

 

ご先祖さまに思いを馳せ、感謝する秋分の日

「暑さ寒さも彼岸まで」という、よく耳にする言葉がある。春分の日や秋分の日を境に、暑さ寒さがだんだんとやわらぎ、次の季節の始まりを感じるという意味だ。

 
夏のじりじりと焼けつくような日差しが少しずつやわらぎ、一年のなかでも特に過ごしやすい秋の始まりを知らせる秋分の日。今日では何となく過ごしてしまいがちだが、本来は、私たちの先祖を敬い、この世界に生かされていることに感謝するありがたい日だということが理解できる。

 
先祖に思いを馳せながら何気ない日常の幸せに感謝する。こんな時代だからこそ、今年の秋分の日はそう過ごしてみるのもよいだろう。
 
 

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