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【長崎県】観光スポットおすすめ20選!【2024年最新版】

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独特の歴史と文化を持ち、美しい景観が広がる長崎県。一度は行っておきたい見所も多く点在している。

 
この記事では、

 
・長崎のエリアごとの特徴
・長崎で観光すべきスポット

 
を紹介する。

 

長崎の観光を楽しみたい!

九州の西北部に位置する長崎県。東は島原半島が突き出し、有明海を隔てて熊本県、福岡県と接し、南は長崎半島から天草灘を望み、西の海上には五島列島、西北の海上には壱岐、対馬があり、その先には韓国を望む。

 
陸地は平坦地が少なく、至る所に丘陵や山岳の起伏がある一方、海岸線は多くの半島や岬、湾や入江からなり、総延長は北海道に次ぐ全国2位の長さ。また、島の数は日本一で、五島列島、壱岐、対馬はじめ594にものぼり、県の総面積の45.5%が島になるほど。このように変化に富んだ自然に恵まれていることから、県内どこへ行っても風光明媚な景色に事欠かない。

 
また、その歩んできた歴史も長崎の大きな魅力。長崎港が天然の良港だったこともあり、中世以来多くの西洋人が訪れ、キリスト教布教の拠点に。江戸時代に禁教令が出ると、人工島の出島が築かれ、200年以上もの鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口になる。その後、開国されると横浜、函館とならぶ開港場となり、長崎の丘や平地には外国人居留地が造成され、西洋のさまざまな文物が流入し、異国情緒溢れる街を形成。長崎ならではの文化が形作られた。

 
歴史上の2度の大きな悲劇も、長崎の成り立ちに大きな影を落とす。1550(天文19)年、フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れたことにはじまり、宣教師たちによってキリスト教の布教活動が進められた長崎では、自らもキリスト教に改修する「キリシタン大名」も出現。領民の多くもキリスト教を信仰し、南蛮文化が花開くが、その後の禁教の時代には、信仰が発覚した者に対しては、激しい弾圧と棄教を強制するなど受難の時代が続く。それでも密かに信仰が受け継がれるなかで、独自の信仰・文化が形成され、その名残を各地の教会などで体感できる。

 
そして、第二次世界大戦の末期の1945(昭和20)年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、広島市に次ぐ原爆被災地に。歴史的な大惨禍に見舞われながらも、戦後、奇跡的な復興を遂げ、世界へ平和の尊さを発信するのも長崎の一面だ。

 
こうした歴史的経緯から長崎には2つの世界遺産があり、県内にはその構成資産が点在。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、450年にも及ぶ、日本のキリスト教の歴史にフォーカス。キリスト教が日本において、どのように伝わり、広まり、根付いていったのかというプロセスを示している。一方、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、西洋との唯一の窓口であった長崎が、西洋の技術をいち早く取り入れ、日本の近代化をいかに支えたかを伝えている。

 
このように、特徴的な自然の中、独自の歴史を歩んできた長崎。日本の他の地域には見ることのできない、長崎ならではの魅力にぜひ触れてみたい。

 

長崎市

鎖国下においても、日本で唯一海外との交易の窓口があったことから、西洋や中国などの影響を受けた独特な文化を育んできた長崎。“和”と中国の“華”、オランダの“蘭”が交わった長崎独自の文化は「和華蘭(わからん)文化」ともいわれ、建物や食べ物、祭りなど、生活のなかに今なお根強く残る。また、港へ続く斜面に形成された街だけに、急な坂道や石段が多いのも特徴。すり鉢状の地形ゆえに、周辺に絶景スポットが多いのも長崎ならでは。そして、広島に次いで原爆被災地となった苦難を伝えるモニュメントも忘れることはできない。

 

グラバー園

 
江戸時代に外国人の居住が認められていた、かつての居留地の区画の中にあるのが「グラバー園」。1万坪超の敷地の中に、もとからこの地にあった旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅を核とし、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元して構成。外国人居留地ならではの異国情緒が楽しめるテーマパークとなっている。

 
同園の象徴ともいえるのが、1863(文久3)年建築、現存する日本最古の木造洋風建築の「旧グラバー住宅」。居住していたトーマス・ブレーク・グラバーは、造船、採炭、製茶など幅広く事業を展開し、明治日本の発展に貢献した人物。洋風装飾の数々、レンガ製の煙突、大きな窓のある温室などがエキゾチック。さらに、建物の三方にベランダを設けた木骨石造の「旧リンガー住宅」、ポーチ横にある日本最古・最大級とされるモッコウバラに覆われたメルヘンチックな「旧オルト住宅」など、いずれも独自のデザインで見どころは尽きない。

 
園内は長崎ならではの坂を活かした地形で、壁泉・石畳による回遊道路をめぐらされ、動く歩道やエスカレーターも設置されている。長崎港や稲佐山などの山々、間近に迫る長崎の街並みなど、かつて居住していた人々をも魅了したであろう景色はまさに絶景。また、園内の至る所に配された季節の花々が、建物の魅力をより高めてくれる。

 

グラバー園|
住所:長崎市南山手町8-1
URL:http://www.glover-garden.jp/

 

長崎原爆資料館

 
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し約15万人の人々が命を落とした。資料館は、原爆が人類に投げかけた想像を絶する被害の状況を後世に伝え、長崎市民の平和への願いを広く国内外に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するための施設として設置された。

 
館内では、被爆の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子などはもとより、核兵器開発の歴史までを展示。常設展示室の「11時2分を指して止まった柱時計」には、誰もが足を留めるだろう。被爆直後と現在の長崎の風景写真を見比べれば、目覚ましい勢いで復興した長崎の街と、長崎市民のバイタリティーが体感できる。

 

長崎原爆資料館|
住所:長崎市平野町7-8
URL:https://nabmuseum.jp/

 

平和公園

 
爆心地にあたる原爆落下中心地公園の北側、小高い丘にあり、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園。毎年8月9日の「長崎原爆の日」には、ここで平和記念式典が行われ、全世界に向けて平和宣言が発表される。園内は「願い」「祈り」「学び」の3つのゾーンで構成。

 
「願いのゾーン」には、公園のシンボルである「平和祈念像」が。長崎出身の彫刻家・北村西望の作で、1955(昭和30)年に完成。像は、高さ約9.7m、重さ約30tの青銅製で、台座裏には「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が刻まれている。そのほか、水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り造られた「平和の泉」、33回忌にあたる1977(昭和52)年にここで亡くなった人々の冥福を祈るためにつくられた「長崎の鐘」をはじめ、世界各国から寄贈されたモニュメントなどが設置されている。

 
「祈りのゾーン」には、「原子爆弾落下中心地碑」や「浦上天主堂遺壁」「被爆50周年記念事業碑」などが設置され、被爆の史実を伝え、被爆により亡くなられた人々の冥福を祈る空間として整備。「学びのゾーン」には、「長崎原爆資料館」とあわせ「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」が整備されている。

 

平和公園|
住所:長崎市松山町
URL:https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3030000/3030100/p005151.html

 

大浦天主堂

 
江戸時代末期、外国人居留者のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存する国内最古のもの。フランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父の設計指導のもと、グラバー邸やオルト邸を手がけた小山秀之進が施工。1864(文久3)年末に竣工し、翌年2月に祝別された。

 
建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」。天主堂の正面は殉教地である西坂に向けて建てられている。なまこ壁をあしらった和洋折衷のめずらしい洋風建築で、聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものも。1875(明治8)年と1879(明治12)年に増改築され、平面形式と外観デザインが変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されたが、内部の主要部には創建当初の姿が保存されている。

 
戦前の1933(昭和8)年に国宝となったが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953(昭和28)年に改めて国宝に再指定。また隠れキリシタンの歴史を物語る施設として、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されている。

 

大浦天主堂|
住所:長崎市南山手町5-3
URL:https://nagasaki-oura-church.jp/

 

出島

 
「出島」は、徳川幕府の命により築造された人工の島で、1636(寛永23)年に築造され、はじめはポルトガル人が居住、のちにオランダ商館が置かれ、以後約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口となった。

 
1866(慶應2)年に居留地となった出島は、次第に周囲が埋め立てられ、1904(明治37)年の港湾改良工事で周囲の埋め立てが進み、独特な扇型の島は姿を消してしまった。その後1951(昭和26)年に、出島の復元整備事業がスタート。50年以上の歳月をかけ、史跡の部分を公有化し、発掘調査を経て2000年以降、順次建物の復元が進行した。

 
現在までに16棟の建物や景観が復元され、オランダ商館長の事務所兼住居だったカピタン部屋などの復元建造物と、明治期の洋館を合わせた建物をミュージアムとして公開。当時の生活を再現した部屋や、発掘調査で出土した資料の展示などを見ることができ、19世紀初頭の出島にタイムスリップしたかのような雰囲気が味わえる。

 
明治時代から残る洋館で食事ができるレストラン、着付けもしてくれる着物レンタル、侍の格好をしたスタッフによるツアーなどの体験メニューも用意されている。

 

出島|
住所:長崎市出島町6-1
URL:https://nagasakidejima.jp/

 

眼鏡橋

 
「日本橋」(東京)、「錦帯橋」(山口・岩国市)と並ぶ日本三名橋のひとつで、日本で初のアーチ式石造橋。橋と川面に映る橋の姿を合わせると眼鏡のように見えることから、眼鏡橋という名前がつけられた。1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定禅師が架設。長さ約22m、幅約3.65m、川面までの高さ約5.46mの規模で、わが国のアーチ構造の草分けであり、石橋技術の規範として全国から注目された。

 
眼鏡橋の近くの護岸になった遊歩道には、石垣にハート型のストーンが埋め込まれおり、恋愛運がアップするパワースポットとしても知られる。

 

眼鏡橋|
住所:長崎市魚の町・栄町と諏訪町・古川町の間
URL:https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000713.html

 

長崎新地中華街

 
横浜、神戸と並ぶ日本三大中華街のひとつ。もともと唐船専用の貿易荷物の保管場所として、1702(元禄15)年に海岸を埋め立てて築島を造り、倉庫を建設したのがはじまり。明治初期に唐人屋敷が廃されると、在住中国人が移り住み、中華料理店や中国物産店が軒を並べるようになり、長崎ならではの中国人街が形成されていった。

 
東西南北4カ所の入口に立つ朱塗りの中華門は、中国福州市から資材を取り寄せ、職人を招いて築造したもので、東門には青龍、西門には白虎、南門には朱雀、北門には玄武(蛇と亀)と、それぞれの方角の神とされる中国伝説上の動物があしらわれている。街路は東西、南北合わせて約250mの十字路になっており、姉妹都市である福建省の協力で石畳が敷かれた通り沿いには、中国料理店や中国菓子、中国雑貨など約40店舗が軒を連ねる。

 
長崎新地中華街ならではのグルメといえば、ちゃんぽんと皿うどん。独特の麺やたっぷりの魚介と野菜の風味が堪能でき、店ごとに自慢の味を競っている。

 
隣接する湊公園は、長崎の冬の風物詩・ランタンフェスティバルのメイン会場。期間中は、メインオブジェをはじめ、大小様々なランタンに彩られ、幻想的な世界が出現する。

 

長崎新地中華街|
住所:長崎市新地町
URL:http://www.nagasaki-chinatown.com/index.html

 

軍艦島

 
長崎港の南西沖、約19kmの地点に浮かぶ島で、正式名称は「端島(はしま)」。海底炭鉱として良質な石炭を産出し、1890(明治23)年から1974(昭和49)年まで日本の近代化産業を支えてきたが、主要エネルギーが石炭から石油に移行したことで閉山となり、島は無人島となった。

 
島全体が岸壁に囲まれ、高層鉄筋コンクリートの建物が立ち並ぶ姿が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるように。石炭の産出が最盛期の1960(昭和35)年には約5,300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度になったという。島内には、労働者が家族で暮らす鉄筋コンクリート造のアパートのほか、小中学校や病院などが完備。映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろい、島の中だけで生活が完結していたという。

 
閉山以後は立ち入り禁止となっていたが、2009年から一般の人の上陸が可能となり、現在は軍艦島上陸ツアーに参加して現地を訪れることができる。上陸ツアーでは、主力坑だった第2竪坑跡や、炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、1916(大正5)年築で、日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを見学通路から見学できる。2015年に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。

 

軍艦島|
住所:長崎市高島町端島
URL:https://www.at-nagasaki.jp/spot/51797/

 

池島

 
西彼杵(にしそのぎ)半島の西方約7km、西彼諸島に属する島で、九州最後の炭鉱として2001年に閉山。1952(昭和27)年に炭鉱が開発されて以来、日本のエネルギーの大きな柱となってきたが、石炭需要の低迷などで経営維持が困難となり、42年間にわたる炭坑の歴史に幕を下した。

 
周囲約4kmの小さな島には、当時の住居や商店が残り、現在も約200人の住民が生活している。無人島でツアーでしか上陸できない軍艦島に比べ、ほとんどのエリアを自由に散策できる。池島炭鉱坑内体験ツアーに参加すれば、元炭鉱マンのガイドで、実際に使用されていたトロッコ電車で坑内へ入れる。国内で唯一の、石炭炭鉱の坑内を常時体験できるスポットだ。

 

池島|
住所:長崎市池島町
URL:https://www.at-nagasaki.jp/spot/61048/

 

佐世保市

日本を代表するテーマパーク「ハウステンボス」がある佐世保は、米軍基地の街でもあり、インターナショナルな雰囲気が漂う港町。その周辺の海域には、多島美で知られる九十九島をはじめとした麗しい風景が広がっている。また、日本と西洋の文化が融合し、異国情緒あふれる街並みが魅力の平戸も近隣のエリアとなる。

 

ハウステンボス

オランダ語で“森の家”という意味をもつハウステンボス。美しい大村湾に面した約152万平方メートル、東京ドーム約33個分の広大な敷地を有する日本一広いテーマパークだ。レンガ造りの建物や石畳などヨーロッパの重厚な街並みを忠実に再現し、その間を運河が流れる光景は、海外旅行に来たかのような非日常の気分を味わせてくれる。

 
ハーバーゾーンは、海に面し、緑が多く自然豊かで、ハーバータウンとフォレストヴィラからなるエリア。テーマパークゾーンは、季節ごとの花や緑に彩られたアートガーデンやフラワーロード、10以上の人気アトラクションが集結したアトラクションタウンなどで構成。さらに、国内初となる体験型デジタルアクション施設が集まったエリア「光のファンタジアシティ」が2021年にオープンした。

 
一年中いつ訪れてもさまざまな種類の花々を街中で見ることができるのもハウステンボスならでは。なかでも春から初夏にかけては、色とりどりのチューリップが咲き誇る「チューリップ祭」、アジア最大級のバラに街中が包まれる「バラ祭」、日本最多品種の「あじさい祭」などを開催。華やかなパレードやショー、街に溢れるイルミネーションも見所だ。秋にはダリアや秋バラ、冬には胡蝶蘭やポインセチアなども楽しめる。

 
また、通年でイルミネーションが楽しめるのも大きな特徴。世界最大級1,300万球の輝きを誇り、アートガーデンに広がる「ブルーウェーブ」、アムステルダムシティとアートガーデンの間を流れる運河がレインボーカラーに包まれる「光と噴水の運河」など、さまざまなイルミネーションを展開。また春・初夏・夏・秋・クリスマス・冬といった季節限定のイルミネーション仕様に変化し、その季節だけの輝きも楽しめる。

 
場内にはフラッグシップホテルの「ホテルヨーロッパ」や世界初のロボットホテル「変なホテル ハウステンボス」など5つの直営ホテルがあるので、宿泊してイルミネーションまでたっぷり楽しむのがおすすめだ。

 

ハウステンボス|
住所:佐世保市ハウステンボス町1-1
URL:https://www.huistenbosch.co.jp/

 

九十九島

 
佐世保港の外側から北へ25kmにわたり、平戸瀬戸まで連なる島々が点在するエリア。島の密度は日本一といわれる。“九十九”とはたくさんあるという形容で、実際の島の数は208にもなるという。西海国立公園の一部をなし、入り組んだリアス式海岸と大小の島々が変化に富んだ美しい景観をつくり出している。

 
多くの写真家が訪れ、映画『ラスト サムライ』のロケ地にもなった「石岳展望台」や、眼前に九十九島の絶景が広がり、春は菜の花、秋はコスモスが楽しめる「展海峰」はじめ、数多くの魅力的な展望スポットが点在。遊覧船での島巡りもおすすめだ。

 

九十九島|
住所:佐世保市
URL:https://www.sasebo99.com/spot/260

 

九十九島パールシーリゾート

 
九十九島の大自然を満喫するための体験基地となるリゾート。定番は遊覧船による九十九島巡り。白い船体が美しい「パールクィーン」、赤い船体が島々に映える「海賊遊覧船みらい」での島巡りのほか、カヤックやヨットなどさまざまなスタイルでの島巡りも体験できる。

 
また、「九十九島水族館 海きらら」には、太陽の光が降り注ぐ屋外型大水槽「九十九島湾大水槽」、光と音楽、映像が交響する癒しの空間「クラゲシンフォニードーム」、イルカたちとふれあえる「九十九島イルカプール」などがあり、西海国立公園九十九島の美しい海中世界を体感できる。

 
リゾート内には、石窯で焼き上げるピザが自慢のレストラン「コスタ九十九島」をはじめ、あごだしラーメンや佐世保バーガーのショップなどがあり、食も充実している。

 

九十九島パールシーリゾート|
住所:佐世保市鹿子前町1008
URL:https://pearlsea.jp/

 

西海橋

 
佐世保市と西彼半島(西海市)を結ぶ全長約316m、海面からの高さ約43mのアーチ式の橋。1955年の建築当時は、この形式の橋としては東洋一、世界3位の規模を誇ったとされ、戦後に造られた土木施設の架設橋梁として、初の重要文化財に指定されている。

 
橋の下には、日本三大急潮のひとつに数えられる針尾瀬戸の急流とうず潮が見られ、春の大潮の潮流時期には「うず潮まつり」を開催。また、この時期は橋の周辺に約1,500本のソメイヨシノが満開になり、祭りを華やかに彩る。

 
橋の両端に広がる「西海橋公園」は、うず潮など周辺の自然が観察できるスポットで、滑り台などの遊具や、そりゲレンデ、ソフトボール場、ゲートボール場などの施設もある。

 

西海橋|
住所:佐世保市・西海市
URL:https://www.sasebo99.com/spot/264

 

島原・雲仙・小浜

島原は古くから湧水に恵まれた水の都として知られ、城下町の名残を色濃く残す街なかを縫うように流れる水路には錦鯉の姿が。また、島原の乱で知られるキリスト教信者の受難の歴史を伝えるスポットも点在する。一方、雲仙・小浜は九州を代表する温泉地。雲仙は日本初の国立公園に指定され、日本のリゾートの先駆けとなった地であり、大自然の景観や地獄めぐりで知られる雲仙地獄などの名所も。小浜温泉は穏やかな海辺の温泉地だ。豊富な温泉と時々刻々と色を変える橘湾に癒やされる。“山の雲仙”と“海の小浜”、好対照な温泉地といえるだろう。

 

島原城

 
大和(奈良県)五条から島原に移封となった松倉豊後守重政が、1618(元和4)年から7年余の歳月を費やして築いた島原城。五層天守閣を中心に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城だったいう。以来250年余の間、4氏19代の居城となったが、明治維新により廃城の憂き目に遭い、天守閣をなくし城跡だけがその面影をとどめることに。

 
その後、島原の人々の熱意が実り、1960(昭和35)年に「西の櫓」が、続いて1964(昭和39)年に「天守閣」、1972(昭和47)年に「巽の櫓」、1980(昭和55)年に「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元。

 
現在、場内の建物は、天守閣が「キリシタン史料館」など、巽の櫓が「西望記念館」、丑寅の櫓が「民具資料館」として利用されており、さらに、雲仙普賢岳噴火災害を映像と各種資料で紹介する「観光復興記念館」も設置されている。

 
なお、2024年の築城400年に向け、2023年2月末までの予定で天守閣外装改修工事を実施中。天守閣全面に足場がかかっているが、期間中も天守閣や敷地内櫓等は通常通り営業しており、館内見学や周辺散策は可能だ。

 

島原城|
住所:島原市城内1-1183-1
URL:https://shimabarajou.com/

 

雲仙地獄

 
標高700mの地に湧出する雲仙温泉は、日本で初めての国立公園に指定された温泉保養地。この温泉を代表する観光名所が雲仙地獄だ。温泉街の中心に位置し、一帯は白い土におおわれ、至る所から高温の温泉と噴気が激しく噴出し、強い硫黄臭が漂う様子はまさに地獄そのもの。大叫喚、お糸、清七など30あまりの硫気孔による地獄の景色が展開し、周辺には真知子岩、婆石、鏡石などの奇岩も点在する。

 
地獄内は遊歩道が整備されており、1時間ほどで地獄巡りを楽しめるほか、途中には足を置くと地熱や噴気を体感できる休憩所の「雲仙地獄足蒸し」、地獄の蒸気を使って蒸しあげる名物温泉たまごを販売する「雲仙地獄工房」も。大地の息吹を体感することができる。

 

雲仙地獄|
住所:雲仙市小浜町雲仙
URL:https://www.unzen.org/

 

小浜温泉

 
近隣の雲仙温泉が標高700mの山懐にあるのに対し、ここ小浜温泉は雲仙の麓・橘湾に面した海辺の温泉。約30カ所もの源泉を有し、豊富な温泉が湧出。この豊かな温泉と橘湾に沈む夕日の美しさが自慢だ。

 
潮風薫る海岸線の大通り沿いに20軒近くの宿が軒を連ね、活気ある温泉街を形成。また、一本通りを入れば、古くからの石垣が残っているなど、昔ながらの風情ある街並みが広がる。地元の人たちに大事に守られてきた湧水が至る所に湧き出るなど情緒たっぷり。

 
宿の風呂の多くは、湯舟から刻々と色を変える橘湾の絶景を楽しめる造り。晴れた日は対岸の長崎半島までが一望できる。また、2010年にオープンした「小浜温泉足湯 ほっとふっと105」もぜひ訪れたい。小浜温泉の源泉温度105℃にちなんだ、日本一長いとされる全長105mの足湯で、腰掛け足湯のほか、ウォーキング足湯、ペット足湯なども。穏やかな橘湾に沈みゆく夕日を見ながらの足湯は、贅沢なひとときを味わせてくれる。

 

小浜温泉|
住所:雲仙市小浜町
URL:https://obama.or.jp/

 

五島列島

五島列島は、日本一島の多い県・長崎を象徴するエリア。長崎本土の西約100kmの海上に浮かぶ約130の島々から成り、まさに九州の最西端の地域。隠れキリシタンの地として、数々の教会、史跡が残る。また、リアス式の複雑な海岸が描き出す自然美も五島列島ならでは。主要な島には展望所が設けられており、その多島美を満喫することができる。

 

舅ケ島海水浴場(しゅうとがしまかいすいよくじょう)

▲出典:五島市観光協会URL

 
長崎港の西約90km、五島列島のほぼ真ん中に位置する奈留島。舅ヶ島海岸は、約500mにわたって潮に洗われた丸石が集積した磯浜。澄んだ水が打ち寄せる人気の海水浴場だ。小さな美しい玉砂利が敷き詰められていて、7月初旬~9月下旬まで海水浴場として賑わう。

 
浜の南側は、砂岩の岩盤が沖の小島に向かって長く伸びる「千畳敷」に。その名の通り広々とした千畳敷と波の侵食でつくられた奇岩の数々、そして紺碧の海が描き出す景観は、島一番の絶景にふさわしい眺め。

 

舅ケ島海水浴場|
住所:五島市奈留町舅ケ島
URL:https://www.gotokanko.jp/contents/sightseeing/detail.php?id=22

 

江上天主堂

 
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12資産のなかのひとつである「奈留島の江上集落」。その中心となるのが江上天主堂だ。禁教令下に五島藩の要請で奈留島へと移住した農民のうち、江上地区にも隠れキリシタンの家族が定住。禁教が解かれたのち、江上地区の人々はカトリックに復帰し、1906(明治39)年には簡素な教会を建築する。

 
その後、40~50戸の信者がキビナゴ漁で資金を蓄え、自ら山を切り崩して用地を造成。各地で教会建築をしてきた鉄川与助に設計施工を依頼し、1918(大正7)年に現在の教会が完成した。

 
クリーム色の板張り壁と水色の窓枠からなる外観が可愛らしい教会で、湿気を避けるために床を高くし、柱には手描きの木目模様、窓には花を描いた透明ガラスを工夫していることなどが特徴。小規模ながら、その完成度は高く歴史的にも価値が高い木造教会堂であり、鉄川与助の木造天主堂代表作ともいわれる。

 
※見学には、長崎の教会群インフォメーションセンターのサイトからの予約が必要。

 

江上天主堂|
住所:五島市奈留町大串1131-2
URL:https://kyoukaigun.jp/reserve/list.php

 

龍観山展望所

 
五島列島のほぼ中央に位置する若松島は、入江が深いリアス式海岸に囲まれ、標高200m前後の山々が連なる険しい地形の島。その島の東部、標高138mの龍観山の山頂付近に展望所がある。隣の中通島との間、約15kmにわたり30もの島々が連なり、複雑な海岸線を描く、五島列島でも有数の景勝地「若松瀬戸」が一望できるビュースポットとして人気だ。

 
紺碧の海と緑の山々、中通島とを結ぶ白いトラス橋の若松大橋とのコントラストはまさに絶景。春先は展望広場に桜の花が咲き、花見やピクニックにも絶好。早朝に訪れれば、野生のシカに出合えるかも。

 

龍観山展望所|
住所:南松浦郡新上五島町若松郷
URL:https://shinkamigoto.nagasaki-tabinet.com/spot/10135

 

はまぐりデッキ

佐世保の西約55kmに位置する五島列島で2番目に大きな島である中通島は、複雑なリアス式海岸に囲まれた風光明媚な地。その波穏やかな有川湾に面したリゾート施設。

 
クリアシーカヤックやスタンドアップパドルボード、10人乗りビッグスタンドアップパドルボードなどによるマリンアクティビティ、レンタサイクル(電動アシスト自転車)による島巡り、海辺でのバーベキューなどが楽しめるほか、プライベートキャンプが楽しめる「エノハマキャラバン」やカフェも。

 

はまぐりデッキ|
住所:南松浦郡新上五島町有川郷2460-1
URL:https://h-deck.jp/

 

まとめ

見所に溢れる長崎県。行きたい場所は見つかっただろうか。
ぜひ、次の休みには、長崎県を旅してみてはいかがだろう。

 
 

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