とっておきの話

ケルン 私を大人に近づけてくれた街【ヤマザキマリの世界逍遥録】

文・イラスト/ヤマザキマリ

ドイツ西部の古都、ケルンを訪れたのは今からもう40年近く前のこと。古代ローマ帝国の植民地(ケルンとはラテン語で植民地を表すコローニアが語源)として栄え、暴君で有名な皇帝ネロの母親であるアグリッピナが生まれた土地でもありますが、当時中学2年生でしかも一人旅をしていた私にとっては街の概要など詳しく知る由もなく、とにかくこの街の近郊に暮らす母の友人宅まで無事に辿り着くことしか頭にはありませんでした。

 
年末だったこともあり、パリの北駅から列車に乗り込んだのは夕方前だったにもかかわらず、車窓の外は日も暮れて既に夕刻のよう。国境を越えて漸くケルンに到着した頃には不安と空腹でヨレヨレでした。母の友人の姿をホームに見つけた瞬間の安堵と喜びといったらありません。

 
一晩寝てすっかり元気になった私は、それから毎日さまざまな予定を入れては楽しく忙しく過ごしていたのですが、大晦日の夜、市内の歌劇場で催されるオペラ公演のチケットが手に入ったからぜひ観てきなさいと滞在先の家族に勧められて、人生で初の生のオペラを観に出かけることになりました。

 
初めてのオペラの舞台は何もかもが素晴らしかったのですが、問題はその後です。劇場の外へ出てみると、なんと滞在先の郊外まで帰るバスも列車も大晦日ということで全く運行しておらず、私は呆然となりました。

 
まさか大晦日を凍てつく寒さの路上で過ごすことになろうとは、と嘆きに満ちた思いがこみ上げてきたそのとき、視線の先にホテルという文字が。取り敢えずその安宿に駆け込んで年を越し、翌朝始発のバスで慌てて滞在先へ戻ってみると、家族は皆熟睡中で私がとんでもない一夜を過ごしたことなど誰も気づいていませんでした。

 
14歳の私を何歩か大人に近づけてくれた街、ケルン。次回は今頃の季節から夏にかけて、もっと暖かい時季にぜひ訪れてみたいものです。

 
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。

 

(SKYWARD2021年5月号掲載)
※記載の情報は2021年5月現在のものであり、実際の情報とは異なる場合がございます。掲載された内容による損害等については、一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

 

『ヤマザキマリの世界逍遥録』が待望の単行本化!

 
JALグループ機内誌『SKYWARD』に大好評連載中の「ヤマザキマリの世界逍遥録」より、2018年5月号~2020年10月号に掲載された30編を収録。ヨーロッパ、中東、アジア、アメリカ、南米……世界を旅するヤマザキさんならではの、独自の視点で捉えた各地の魅力をイラストとともに綴っています。さらに特別編として、JALカード会員誌『AGORA』2019年7月号、8・9月号に掲載の、タイ・チェンマイ~チェンセーン~チェンライ周辺を巡った「タイ北部紀行」前後編も併せて収録。

 

定価:1,430円(税込)
発行日:2021年3月31日
サイズ:四六判(天地:188mm/左右:128mm)
総ページ数:176ページ

 
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