日本の風土を紹介する海外のテレビ番組で、必ずといっていいほど登場するのが温泉に浸かるニホンザルの映像です。雪の降る山あいの露天風呂のお湯に、赤い顔をさらに火照らせて心地よさそうに浸かる彼らの姿には、入浴の習慣がない地域の人も癒やされるようですが、この温泉好きの猿たちは私の作品である『テルマエ・ロマエ』にも登場します。
体を洗うためではなく、癒やしやエネルギー補充の目的でお湯に“浸かる”という文化が日常に浸透していた代表的な民族といえば、古代ローマ人と日本人ですが、漫画には人間ではなくても温泉を愛するニホンザルたちを描かずにはいられませんでした。
作品では古代からタイムスリップして現れたローマ人の浴場設計技師と出会ったり、古代ローマ時代の温泉にワープしてしまったりするお猿ですが、漫画に描かせてもらった事後報告とお礼も含め、彼らに直接会っておこうと決めた私は、今から数年前、長野県の地獄谷野猿公苑まで出かけてみることにしました。
地獄谷野猿公苑は海外のガイドブックでも紹介されているので、現地ではさまざまな国々からきた観光客たちの姿が目立ちます。それほど寒い時期ではなかったのでお湯に浸かっている猿はほんの数匹でしたが、それでもしっかりと目を瞑って、じんわりお湯の温もりに身を委ねている姿は、見る人の心と表情を緩ませていました。
生き物たちが心底幸せそうにしている様子というのは、我々のメンタルにとってこの上ない栄養素となりますが、普段の生活に疲れた人には、シンプルに命を満喫している野猿公苑の猿たちの姿は元気回復に効果覿面(てきめん)かもしれません。
お猿と別れた後は人間用のお風呂を求め麓の渋温泉郷へ。趣ある旅館の湯船の中で、何はともあれ、この世に温泉があってよかったね、と山の猿に呟きかけながら、地球の恩恵を心ゆくまで堪能したのでした。
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。
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