イタリアの南部がかつてはギリシャ植民地だったことをご存じでしょうか。フィレンツェでの留学時代、シチリア出身の友人ができて、初めて彼女の故郷を巡った時に訪れたアグリジェントの「神殿の谷」と呼ばれる丘の上に、2600年も前に建てられたこれらの神殿を目の当たりにした私は、歴史の質感によって象られた想像を絶する圧倒的な存在感に、言葉を失って立ちすくんでしまったほどでした。
アグリジェントがシチリア在住のギリシャ人たちによって植民地となったのは紀元前580年頃にさかのぼります。その300年後に共和政ローマの支配下に置かれるまでは、本土にも負けないギリシャ都市として最大で30万人もの人口を抱えて栄えていましたが、現在はオリーブやアーモンドなど地中海らしい植生に囲まれたのどかな景観が周辺に広がっています。
私もアグリジェントにはもう何度も訪れていますが、晴れ以外の天気だったことがありません。抜けるような青空をバックに聳え立つ褐色の神殿を見ていると、イタリアという国土の広さと地域の多様性を痛感させられます。
そういえば、まだ幼かった息子を連れてこの地を訪れた時は、春であるにもかかわらず肌がジリジリするような暑さで、息子は上半身裸になって歩いていました。すると、神殿の前に集まっていた日本の中年女性の観光客たちが息子の周りに集まって「あら、地元の子ども!」と盛り上がり、皆彼と一緒に写真を撮影し始めました。
確かに日に焼けた息子の佇まいはアグリジェントの空気に溶け込んでいましたが、楽しそうな女性たちに圧倒されたのか、彼は複雑な表情のまま黙り込んでいました。地元の子どもとして、壮麗な神殿の前で困惑した表情の息子の姿が写っている写真が彼女たちのアルバムに収められていることを想像すると、申し訳ない半面、ちょっと可笑しい気持ちになります。
やまざき まり
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パンデミックの文明論』(中野信子と共著)、『たちどまって考える』など。
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発行日:2021年3月31日
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