姫路城から北東に位置する町、野里(のざと)。かつて鋳物業で栄え、戦災を免れた石畳の旧街道沿いには、今も漆喰壁であしらわれた虫籠窓(むしこまど)や瓦葺き屋根の蔵造りなど歴史的遺構が点在する。その町並みは古いモノクロ写真に色を載せて再現したかのように美しく、大切に守られてきたことが分かる。
5年前、この町に仲間入りした「うどん屋 麦~バク~」。
木格子越しにのぞくと、常連さんと談笑するはちまき姿の男性が見えた。この店の主人、“バクさん”こと横田圭祐さんだ。
往時の趣が漂う空間に、年代物のオーディオ機器、大量のレコード、レトロな食器、梁一面のカラフルなけん玉……古いもの好きのバクさんがコツコツと収集したモノたちが加わり、どこか駄菓子屋さんとアンティークショップが融合したような懐かしさと独特の居心地のよさがある。
手延べと手打ち、2種類のうどん体験を
「うどん屋 麦~バク~」は手打ちうどんに加え、長崎・五島列島伝統の手延べうどん、五島うどんも出す希有な店だ。
30歳で五島うどんと出合い、衝撃を受けたバクさん。美味しさの秘密を知りたいと、本場・長崎県船崎地域へ飛んだ。方々で修業を断られるなか、唯一門戸を開いてくれた製麺所のお世話になることに。「ぼくがいた製麺所は夜中12時から製麺し始めるんです。当時はずっと車中泊で、警察官が起こしてくれたこともありました。『時間だよ』って」
現在、店で出すのは新上五島町の最古参、西下製麺所のもの。初めて食べるならば本場同様、生たまごを落としたあごだしのつゆにつけて食べる「地獄炊き」がいい。本来、麺は名前の由来の説にもあるとおり熱々の釜揚げで食べるが、最近は現地でも冷やしが定着しつつあるそうだ。
麺をつゆとたまごにしっかりとくぐらせて口に運ぶ。2~3mmほどの細さから繰り出される手延べ特有のぷりっと弾ける食感が楽しい。さすが五島うどんに心を奪われたバクさんが厳選しただけある。
一方、手打ちうどん。五島うどんを正統派とするならば、こちらは断然個性派! 見るからに潤いたっぷりの麺を頬張れば、想像の斜め上を行くなまめかしいグミュグミュ感に、歯が深く、深く沈んでいく。なんと官能的な……。これぞ、唯一無二の「バクさんのうどん」なのだ。敬愛を込めて次のように表現させてもらいたいが、柔らかさのなかに潜むエキセントリックな食感が、まるで昨日食べたかのように鮮烈な記憶として刻まれている。
そして、ここからの振り幅がすごい。圧倒的な存在感の麺とは対照的に、だしは内側からそっと頬を撫でるようにまろやか。だしの定石である鰹節をあえて使わず、伊吹いりこを中心とした旨味をじんわりと伝える味わいだ。しかも、意図的に塩味を抑え、添えられたかえしで各人に調整させる仕組みがなんと斬新で合理的なことか。「ぼくにとってぴったりな味でも人によって濃かったり薄かったりしますからね。みんなが美味しいと思えるにはこのほうがいいよねって」
それにしても、人間的魅力に溢れた人である。破天荒や型破りとも違う。肩の力が抜けているようで、その口からごく自然にアバンギャルドなエピソードがぽんぽん飛び出してくるのだ。
特に傑作なのが、独立前、大手うどんチェーン店での面接の話。将来うどん店を開業するため、製麺だけに専念したいと考えた当時のバクさん。「レジや天ぷらなど麺に関係ないことは一切いたしません」と、某ドラマ顔負けの宣言をしたとか。「でも、本当にうどん以外のことはほぼしませんでしたよ。うどんも加水率や生地の厚さを変えていろいろ試したり。え? はい、勝手に(笑)」。
数年後、満を持して店を構えたバクさんだが、皮肉にも調理経験のなさから包丁が握れず、しばらくのあいだうどん以外の仕込みはすべて調理師免許をお持ちの妻のるみ子さんにサポートしてもらったという愛すべきオチつきだが。
うどん屋 麦~バク~
住所 兵庫県姫路市鍛冶町2
電話番号 079-227-7997
営業時間 11:30~14:00(L.O.13:30)/18:00~21:00(L.O.20:30)
定休日:火(臨時休業あり)
井上こん
ライター・校正者。各地のうどん食べ歩きをライフワークとし、雑誌やWebサイト、テレビなどさまざまな媒体でうどんや小麦の世界を紹介。「うどんは小麦でデザインできる」ことを伝えるため、週がわり小麦のうどんスナック「松ト麦」店主の顔も持つ。著書『うどん手帖』(スタンダーズ)。
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