旅ごはん

ニッポンうどん紀行|第二杯 愛媛県松山市「鍋焼うどん ことり」

文・写真/井上こん

「熱いので気をつけてくださいね」と、3代目の中矢有伊子さん。白銀色に光るアルミ鍋の蓋をつまみ、そっと持ち上げる。待っていました、と言わんばかりに舞い上がる湯気に覗き込んだ顔が一瞬で包まれ、つい口元が緩む。具は刻んだお揚げに牛肉、たまご焼き風の蒲鉾、桜うずまきのなると。それらがぽってりと平たいうどんとぐつぐつ、ぷるぷる……せわしなく各々揺れるさまに食欲がかき立てられる。

 
鍋焼うどんというと、一般的に冬の風物詩のイメージを持つ人も多いだろう。が、ここ愛媛県松山市では一年を通して愛される日常のごちそうだ。専門店も多く、お隣の香川とはまた異なるうどん文化が根づいている。瀬戸内の温暖な気候に恵まれたこの街で、鍋焼うどんはどんな道を辿ってきたのだろう。

 
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▲600m続くアーケード街「銀天街」は鍋焼うどんの聖地。

 

70年前、焼け野原で生まれたうどん

松山に鍋焼うどんが誕生したのは1940年代のこと。当時、先の大戦で米軍による大空襲に見舞われた同地は、市街地の大半が焼失するなど甚大な被害を受けた。3人の娘を持つ母、森田ハツヨさんが裸一貫、屋台のうどん店を始めたのはその頃のことだ。戦前は料理屋を営み、日本軍の指定食堂としても多くの軍人を支えた働き者のハツヨさん。満足に食材を確保することもままならないなか、なんとか温かい食べ物で人々に喜んでもらいたい一心だった。

 
その後、ハツヨさんは1949(昭和24)年、松山最大級のアーケード街(現在の銀天街)裏手の静かな小路に「鍋焼うどん ことり」を構える。後に娘の忍さん・チカ子さん・厚美さんの三姉妹、忍さんの夫・森田史之(ちかゆき)さんも店を手伝い、以後約70年にわたって、ほぼ同時期に開店した近隣の「鍋焼うどん アサヒ」とともにこの地域のうどん文化のパイオニアとして双璧をなしてきた。

 
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▲風情ある石畳の小路に新旧の店舗が入り交じる。

 
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▲創業当初から大切に使われてきた店内。昼時ならずとも全36席が埋まることも多々。

 

早朝、家族総出で開店準備

「鍋焼うどん ことり」の朝は早い。御年90歳を迎えられる史之さんが明け方3時頃からだしを引き、具の下準備をする。厨房がだしの香りで満たされる頃、忍さんら三姉妹と、ハツヨさんの曾孫にあたる有伊子さんら女性陣が出勤。膨大な数のいなりずしを仕込み、鋳物コンロすべてに鍋が配置される頃、店前に開店を待ちわびる人の姿が見え始める。

 
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▲10時、三姉妹の次女・チカ子さんが鍋に火をかけ始める。

 
松山では、鍋焼うどんはアルミ鍋で提供されるのが一般的だ。土鍋やガラス鍋と比べ、アルミ鍋は軽くて丈夫なうえに熱伝導率も高い。火にかけてしばし、湯気が一寸上ったと思えばたちまち蓋が踊り出す。お客さまを待たせず提供するのにうってつけだ。店では毎年、吉例として50ものアルミ鍋をすべて新調するという。「まだまだ使えるんですが、家族みんなさっぱりした気持ちで新年を迎えようってことで」と、これまたさっぱりした口調で有伊子さんが言う。

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▲間近で見ると驚くほど薄い鍋。点火後、数分で縁から沸騰。

 

ほのかな甘さが味の決め手

冒頭に戻る。鍋同様のアルミ製レンゲを手にふうふうと出汁を口に運ぶ。よどみなく浸透していくうま味。感想の正解を求められるような堅苦しさとは無縁の、ごく自然な在り様に全身がほぐれていく。取材と知ってか知らでか、隣でうどんを啜っていた一人の老婦人が呟くようにおっしゃった。「変わらんわ。ここは学生ん頃から変わらんわ」。

 
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▲鍋焼うどん600円といなりずし(2個)300円(ともに税抜)。メニューはこの2つのみ。

 
出汁は伊予灘で秋にしか獲れないイリコと利尻産の一等昆布から引き、地元の醤油蔵でつくられる「鍋焼うどん ことり」専用の醤油を加える。後を引くイリコの味わいもさることながら、甘さも特徴的だ。といってもべたっとした重いものではなく、次の一口につながるきっかけに過ぎない絶妙なあんばい。砂糖、あるいはみりんを用いたかえしによるものなのだろうか。だが、出汁はハツヨさんの時代から変わっていないとも伺った。戦後、砂糖ほど貴重なものが満足に手に入ったとは考えにくい。

 
そんな問いに「砂糖やみりんは使ってないんですよ」と有伊子さん。「愛媛の醤油は少し甘いんです。あと、継ぎ足しで使っている隠し味ですかね」とかえって気になる回答を頂戴しつつ、うどんを頬張る。かつては手打ちだったが、今は製麺所に専用麺を頼んでいるという。やや平たく、もっちりと柔らかい仕立てで大変出汁なじみがいい。すっかり平らげる頃にはお客さまが続々と入店。厨房の気忙しさも増していた。この調子では12時過ぎに売り切れになることがあるというのも納得だ。

 
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▲子どもから大人まで愛される味。三世代で訪れる常連も。

 
三時代を駆け抜けてきた「鍋焼うどん ことり」が松山の鍋焼うどんにおける草分け的存在であることに間違いないが、ご家族の誰一人としてそうした素振りを見せることをしない。その時その時、静かにバトンを託すのみ。

 
目を閉じれば、ぐつぐつと揺れるうどんがまぶたに浮かぶ。一年中食べられるとわかってはいても、寒さが増すこの季節、松山にいない身としてはことさら恋しさが増してしまう。

 

鍋焼うどん ことり
電話:089-921-3003
住所:愛媛県松山市湊町3-7-2
営業時間:10~14時 ※売り切れ次第終了
休日:水

 
井上こん
ライター・校正者。各地のうどん食べ歩きをライフワークとし、雑誌やWebサイト、テレビなどさまざまな媒体でうどんや小麦の世界を紹介。「うどんは小麦でデザインできる」ことを伝えるため、週がわり小麦のうどんスナック「松ト麦」店主の顔も持つ。著書『うどん手帖』(スタンダーズ)。

 
 

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