黄色盛りを迎えた晩秋の高崎へやってきた。市庁舎を囲う銀杏並木は黄葉し、颯爽と自転車が巻き上げる秋の香りに鼻がクンとなる。ゆったりと流れる烏川を越えると、ビワより黄色く、レモンよりいびつな実をつけた街路樹が続く。のど飴でお馴染みの「カリン」である。観音山周辺でのみ植樹され、この時期たわわに実るカリン並木は町の風物詩らしい。
目次
うどんの国、群馬へ
群馬といえば、知る人ぞ知る「うどんの国」。小麦生産量は北関東では堂々1位、全国でも5本指に入り、水沢うどんや桐生うどんといった名だたるご当地うどんの数々からもその片鱗が窺える。加えて、こうした定番のジャンルに捉われない佳店も多く、その層の厚さは計り知れない。
カリン並木から脇道へ入り、用水路に沿って進んだ住宅街の一角に「まさか」が見えてくる。
こちらに気づいた店主、高橋一也さんが厨房の窓から大きく手を振ってくれた。時代が染みた店内。ぽかぽか陽気のなか、食べ終わった常連さんたちが寛いでいる。
最後のお客さまのためのうどんを出し、釜の火も落としたのだろう。厨房から高橋さんがひょっこり出てきた。
「カツ、もうちょいで終わりなんさ。持っていきなよ! そっちのお兄さんもいるでしょ? 待ってな、今揚げるから」
お客さまが一人も来ない日も
下町風の、屈託のない会話で昼下がりの店内にゆったりとした時間が流れていく。父親である先代が「さかえ庵」の名で30年営んだうどん店を引き継ぐ形で店を始め、まもなく4年。
「もともと市内で飲食店をやってたんだけど、親父が亡くなって母ちゃん一人になっちゃうから従業員を連れて戻ったんさ。最初は全然人が来なくて、潰れちゃうかと思ったね」
今だからやっと笑って話せる。店を引き継いだ当初、うどん打ちとしてはほぼ素人。記憶を頼りに打ち始めたものの、早々に危機が訪れる。お客さまが来ず、開店休業状態が続いたのだ。来店者ゼロに肩を落とした日も一度や二度ではない。前の店からついてきてくれた従業員たちを抱え、焦燥感に駆られる日々だった。
「このままじゃいかん」
ならばと、持ち前の負けじ魂もあり、長いときには3週間店を閉め、貯金を切り崩し、全国の名店といわれる店はもちろん、少しでもいい評判を耳にすれば東京、香川、福岡……どこへでも足を運び、朝な夕なうどんに没頭した。試さないと気が済まない性分ゆえ、店へ戻っては試し、悩み、また試した。
重量と色気で魅せるうどん
謙遜する高橋さんに、目指すうどんを3つのキーワードで表現してもらえないか訊ねてみた。
一つ目は即答で“どっしり”。それから少し間を置き、“もちもち、つややか”と捻り出してくれた。高橋さんの麵に惚れ込んだ者の一人として、特に最初のキーワードには思わず身を乗り出して頷いてしまった。というのも巷(ちまた)では、その量の多さからいわゆる“デカ盛り店”と思われがちだが、とんでもない。一言で言えば、重量と色気のバランスが絶妙なのである。櫛ですいたように美しく撫でつけられた盛りから数本を引き出してみる。均整の取れた麵は一本一本が太く、まさに“どっしり”と力強い印象がにじむ。
それでいてどうだ、いざ歯を入れると表層はとろみに近いなめらかさがあり、内にかけてググッと増す弾力の心憎いこと。5秒にも満たない咀嚼がとてつもなく重層的な体験に感じられる。小麦粉は三重のあやひかりや九州のチクゴイズミもブレンドされていると聞いた。それらの特長である伸びやもちもち感を生かした質感設計に頭が下がる。
「うちは何うどんかって言われると困っちゃうんさ。よく口コミで讃岐うどんと書かれるのが不思議でさあ、そんなこと言ったことないんだけど。俺は俺でほかのすごいお店に負けないように一生懸命やるだけだよねえ」
このうどんは一人の職人が生み出した作品だ。飄々とした語り口からは、このまま精度を高めていく一方で、今後、感性一つでがらっと方向性を変える可能性も否定できないように思う。そういった楽しみも内包した、紛れもない“高橋一也さんのうどん”なのだ。
まさか
電話:027-326-4565
住所:群馬県高崎市乗附町1945-1
営業時間:[月~土]祝11:30~13:45(L.O)・17:30 ~ 22:30、[第1・第3水]11:30 ~ 13:45(L.O)、 [日]11:30 ~ 14:30(L.O)・16:30 ~ 20:00
休日:木曜日、第2・第4水曜日、第1・第3水曜日夜の部(臨休あり)
井上こん
ライター・校正者。各地のうどん食べ歩きをライフワークとし、雑誌やWebサイト、テレビなどさまざまな媒体でうどんや小麦の世界を紹介。「うどんは小麦でデザインできる」ことを伝えるため、週がわり小麦のうどんスナック「松ト麦」店主の顔も持つ。著書『うどん手帖』(スタンダーズ)。
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