「ぼくの話がべったりだから、エソのあっさりが活きるのよ。ハハハ!」
なんとも愉快に話すその人は、自称“エソガイさん”こと磯貝直利さん。大分県の南東部に位置する佐伯市で、お母さまの征子(ゆきこ)さんと郷土料理店「味愉嬉(みゆき)食堂」を営んでいらっしゃる。
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釣り人も捨てる外道ながら味は一級品
エソとは、四国や九州などを中心に獲れる魚で、種類によっては全長約70cmにもなる。お世辞にも可愛らしいとはいえない顔つきで、見開いたギョロ眼や小さく鋭い歯が獰猛な爬虫類を思わせる肉食性の魚だ。
この日「味愉嬉食堂」に届いた30kgのうち、磯貝さんが見せてくれたのは全長50cmほどのマエソと呼ばれる種類。うろこ取りの傍ら、軽快な語り口で教えてくれた。
「エソは英語だとLizard Fishって言うけん。つまり、トカゲね。この歯で噛みついたらもう離さんよ。共食いもするわ、釣り人の獲物も横取りするわで、昔から嫌われ者やね」
だが、ワイルドな顔つきに反して味は意外にも淡泊だという。特別に出していただいたのは、世にも珍しいエソの刺身。見るからに肉厚な身に心躍り、頬張り、言葉が出なかった。噛み締めては押し返されの繰り返しで一向に歯が入っていかない。タイやイナダにも見える可憐な桜色がこうも激しくあらがうとは。それもそうだ、水流の激しい豊後水道を生き抜いてきた筋肉のかたまりなのである。しかも冬はひときわ脂が乗り、味わいも増す。噛み切れないまま飲み込むと、舌の上になんとも上品な風味が残った。
強面が隠し持つ繊細な味わいにすっかり虜になってしまったが、地元では外道として釣り人も敬遠するらしい。最大の難点は小骨の多さ。しかも一つ一つが固いためハモのように骨切りして食べることもできず、一言でいえば「扱いづらい」のだ。それゆえに、この辺りでは昔からエソ独特の粘り気を生かしたでん粉不使用の蒲鉾やすり身揚げが親しまれ、その人気は年々高まっているそうだ。
地元の万能調味料
さらに佐伯には「ごまだし」と呼ばれる保存食が伝わる。焼いて骨を取り除いたエソにごまと醤油を混ぜペースト状にしたもので、茶漬けにのせたり、キュウリと一緒に食べたりと万能調味料として使われることが多い。
ごまだしに関する詳細な資料は少ない。正確な起源は不明だが、壇ノ浦の戦いで敗れ逃げ延びた平家のごまを使った精進料理なのでは、あるいは味噌の代わりという意味の「ごまで化かす」が「ごまかし」に転じたのでは……と磯貝さんの推理を聞くのがおもしろい。いずれにせよ100年前頃にはすでに食文化として定着していたのは間違いないそうだ。
「いわゆるおふくろの味。昔は家庭ごとのレシピがあってな……。今は業者がおるけん、わざわざ作る人はおらんけど」
佐伯に伝わる“ケ”の料理を、いわく「合わせ技」で“ハレ”の料理に進化させたいと考えた磯貝さん。自身も幼い頃から慣れ親しんできた「ごまだしうどん」に着目し、湯だめのうどんにのせたごまだしを崩しながら食べるお店が多いなか、ごまだしとうどんを分けたつけスタイルで+αの味の変化をねらった。
自由に足し引き、めくるめく味体験
食べ方はこうだ。そば猪口にごまだしを二さじ、うどんの湯で溶く。香ばしく焼いたエソの皮をくぐらせた湯は香りもよく、立ち上る匂いだけでゴクリとのどが鳴る。うどんをつけて啜ると、ごまの風味と一緒にエソの出汁が穏やかに膨らんでいく。カボス胡椒の相性もいい。
「次、次はカボスね。で、豆乳」
わくわくした顔で磯貝さんが急かす。言われたとおり、先ほどまでのそば猪口にカボスを搾り、豆乳を回し入れる。するとカボス果汁に豆乳が反応し、とろみを帯びたつけ汁へと変化。なるほど、これでよりうどんに絡むという算段か。エソの出汁に柑橘の香りと柔らかい甘酸っぱさが重なり、それらすべてが母なる豆乳に抱かれ、見事なまでに一体感を表現している。ひととおり堪能した後、さらにごまだしやカボス果汁を加えたりしてもよいそうだ。
「正解も失敗もないけん」
磯貝さんが言う。濃いもよし、薄いもよし、足したり引いたり、行ったり来たり。ごまだしうどんとは、まるで味を設計していくかのような楽しみに溢れたハレの料理だった。
最後にエソ仙人による、ごまだしの詩をご紹介。
「変わる、変わる、味変。今日の自分と昨日の自分。そして明日へ、とどまらない――」
味愉嬉食堂
電話:0972-23-7240
住所:大分県佐伯市中村南町7-25
営業時間:11:00~22:00
休日:火曜休
井上こん
ライター・校正者。各地のうどん食べ歩きをライフワークとし、雑誌やWebサイト、テレビなどさまざまな媒体でうどんや小麦の世界を紹介。「うどんは小麦でデザインできる」ことを伝えるため、週がわり小麦のうどんスナック「松ト麦」店主の顔も持つ。著書『うどん手帖』(スタンダーズ)。
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