日本近代化の黎明期、明治11年。イギリス出身の女性が東京〜東北〜北海道を旅した記録である。
妹へ宛てた手紙の形をとった紀行文は、船が横浜港へ着くところから始まる。本のなかの横浜や東京の様子で印象深いのは、外国人の多さである。観光客としてではない。知識や技術を請われての仕事か、肉体労働かの違いはあるが、都会では西洋人と中国人を見かけることがかなり多かったようである。私自身、明治社会の印象がだいぶ変わった。
また、その当時たった数年前に発明されたばかりという人力車の流行も面白い。農村から都会へ若者がたくさん“出稼ぎ”にやってきて、町は人力車で溢れていたのだという。現在、東京はタクシーが数多く走っているが、明治の初めからそういうものだったのである。
しかし、彼女の筆がさえるのは、東京をたち春日部、栃木、日光と進み、さらに馬でその先の新潟、船も使いながら米沢、秋田、青森と東北を巡る旅の間である。外国人が未だかつて足を踏み入れたことのない土地に暮らす人々のことを、ありのまま記録している。
それをひと言でいえば美しい自然と、都会と比べてあまりに貧しい人々の生活の様子である。ただ、彼女の目には、日本人は「粗野」と呼ばれるような存在からはかけ離れた、「とても親切で、心優しく、礼儀正しい」人々と映った。このことが、バードにとっても、彼女の残した文章を読む私にとってもいちばん強い印象を残す点であり、大きな謎である。つまり、貧しければ他を思いやる気持ちの余裕など生まれるはずもないと思いがちであるが、事実は異なる。
明治以降、西欧列強と肩を並べるべく150余年のあいだ励んできた日本人はどこへ辿り着いたのか。政治、産業、社会そして生き方と、さまざまな転機が訪れようとしているいま、数世代前の日本人の生き方をあらためて知ることも重要であろう。
『日本奥地紀行』
イザベラ・バード 著 高梨健吉 訳
平凡社ライブラリー
1,650円(税込)
笈入 建志
おいり けんじ/往来堂書店代表。店は漱石が「猫」を書いた家や鴎外の家もあった東京・千駄木。楽しく、美しく、そしてときどき考えさせられるもの。そんな本がこぢんまりした本屋で見つかるのを理想とし、分類にこだわらない本の陳列「文脈棚」を実践中。www.ohraido.com
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