ベートーヴェン音楽の人類愛に強く照らされた街が、ドイツ東部にもう一つ。ライプツィヒから電車で1時間ほどのドレスデンだ。ザクセン選帝侯の宮廷都市として15世紀から栄え、生前のベートーヴェンが生涯一度の大旅行をした際にはここで、時のザクセン侯に捧げる御前演奏を行っている。
目次
Dresden ドレスデン
彼の音楽が街全体を揺るがせたのは、その約200年後の1989年10月。前述のライプツィヒから発した民主化運動が伝播し、国中でデモが頻発した。当局の取り締まりが強まるなか、ドレスデンの誇るザクセン州立歌劇場・ゼンパーオペラが抵抗の狼煙を上げる。ベートーヴェン唯一のオペラ『フィデリオ』を上演したのだ。
『フィデリオ』は政治犯を主人公に、権力の抑圧と人間の自由を主題にした作品。しかもその舞台を当時の東ドイツに置き換え、観客には明らかな政権批判とわかる演出を採用した。
「現実の歪みを訴えるにはどうすればいいか? 自由・平等・友愛という人の道を問うために、ベートーヴェンの力を借りたのです」
演出を担当したクリスティーネ・ミーリッツさんは振り返る。
「舞台に立つのが怖かったと、あの日を知る音楽家は今も言います。客席には当局関係者も警察もいた。それでも舞台は誰にも止められず、最後まで行われました」
そう語るのは、ゼンパーオペラのインテンダント(支配人)ペーター・タイラーさん。終演後のホールは沈黙が支配した後、大喝采が10分あまり続いたという。芸術が抑圧に勝利したドレスデンの快挙はドイツ全土に伝わり、民主化の熱をより高めた。その熱は翌月、ベルリンの壁崩壊に結実する。
「私にとってベートーヴェンは、仰ぎ見る星のような人。そして今も変わらず、精神的なガイド役であり続けています」
ミーリッツさんは目を輝かせ、惜しみない賛辞を捧げる。あれから30年。ゼンパーオペラのベートーヴェンイヤーの主軸はもちろん、あの日と同じ『フィデリオ』だ。
苦難の時代にあっても人々を導き、心を励まし、民主主義の発展に多大な影響を与えてきたベートーヴェンの音楽。欧州議会はヨーロッパの理想を象徴する楽曲として、交響曲第九番を「欧州の歌」に制定した。ドイツ生まれの作曲家が紡いだ旋律は二世紀の時を超え、人類の理想と希望をのせて、故郷の空に響き渡っている。
髙崎順子
たかさき じゅんこ/ライター。パリを拠点にフランス文化に関する取材・執筆に携わる。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)。
村松史郎
むらまつ しろう/写真家。静岡県生まれ。京都、東京で写真を学び1989年より在仏。パリを拠点に、ヨーロッパ各地で活動中。
Information about GERMANY
ドイツ東部に位置するベルリン、ライプツィヒ、ドレスデンは若きベートーヴェンが1796年、生涯一度の大旅行をした際に辿ったルート。当時の移動手段は馬車で、旅程も数カ月に及んだが、現在は鉄道での移動が容易で、短期間の滞在でも観光ルートを組みやすい三都市だ。ゆかりの音楽家も多く、バッハ、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ショパンらの面影を追うこともできる。どの都市でも年間を通してオペラやコンサートがあり、季節を選ばず滞在を楽しめる。
ザクセン州立歌劇場 Semperoper Dresden
付属オーケストラのコンサートマスター・マティアス・ヴォロンさん。楽団は劇場自体より長い、450年以上の歴史を誇る。
電話:49-351-4911-705
住所:Theaterplatz 2, 01067 Dresden
URL:www.semperoper.de
ヴィエンナ・ハウス QF ドレスデン Vienna House QF Dresden
ドレスデンの名刹・聖母教会前ノイマルクトに位置する現代的なホテル。文化的名所から徒歩10分圏内にあり、観光の拠点にちょうどよい。
電話:49-351-5633090
住所:Neumarkt 1, 01067 Dresden
URL:www.viennahouse.com/en/qf-dresden/
〇取材協力:ドイツ観光局www.germany.travel、ベルリン観光局www.visitberlin.de、ライプツィヒ観光局www.leipzig.travel、ドレスデン観光局www.dresden.de
〇コーディネーション:河内秀子
ドイツへのアクセス
東京(成田)からフランクフルト国際空港へJAL直行便が毎日運航。フランクフルトで乗り継ぎドレスデンへ。ドレスデン─ライプツィヒ─ベルリン間は鉄道でそれぞれ約1時間10分。
関連記事